新聞

2020年1月26日 (日)

昭和40年の新聞

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 家の物の整理をしていたら昭和40年8月14日の新聞が出てきた。読売新聞だ。

 池田勇人首相の写真が大きく載っている。「経済繁栄のリーダー」、「池田さんの功績」といった文字がある。

 池田首相が死んだときの記事だと思う。名前を覚えている藤山愛一郎の談話が載っていたりするから、死んでから2、3日後の新聞かと思う。

 読んでいくと「池田前首相」とある。首相はすでに辞めていたんだ。文字が今の新聞と比べるとものすごく小さいことに目がいく。

 この新聞を読もうとするが、文字が小さすぎて読む気にならない。それほど小さい。

 13面に「武智監督ら書類送検」「映画『黒い雪』」という記事が載っている。「計40人をワイセツ図画陳列罪で書類送検した。」とある。

 まあ捨てずに置いておいて、いつか読んでみようと思うが、とにかく文字が小さいのでびっくりだ。この頃の日本人はこの文字の大きさを当然と思って読んでいたわけだ。

 

 

 

2016年10月23日 (日)

これで納得 イスラム教のこと

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 10月21日の朝日新聞の朝刊で、池内恵という人がイスラム教について話していて、これは非常に秀逸なもので、分かりやすく、柔軟だった。ぼくがイスラム教についてもっていた釈然としない思いが、はっきりと語られていて、オォと思った。
 この池内恵という人の話はテレビで何回か見ていて、話のうち一回は気になったけど、あとはどうということもないって感じだった。でも今回の記事の話は鮮烈によかった。
 ぼくが釈然としない思いをもっていたのは、西欧の学者というか、思想家というかそういう人たちのイスラム教、イスラムの人たちへの対応で、ひどくアンバランスな感じがしていた。
 イスラム教というものをよくわかってないんじゃないか、相手をよくみないで、じぶんらの思想に酔っているだけなんじゃないかと思っていた。
 日本の文化人やジャーナリスト、知識人、学者のイスラムについて語ることにもおなじ思いを持っていた。
 この人たちの言っていることは、じつはイスラム社会では通用しないんじゃないかと思っていた。
 そういったことについて池内恵の言っていることは、短いが非常にはっきりとした具体的な話で、ぼくは納得した。
 全部引用すれば非常によくわかると思うが、そうもいかないだろうから、最初から区切りのいいところまでと、最後のところを引用してみる。
 
 「西欧が自由と平等を掲げる以上、イスラム教にも様々な権利を与えるべきだと考える人は多いでしょう。では、そのイスラム教は西欧のような自由を認めているでしょうか。イスラム社会で他の宗教を信じることが許されますか。
 イスラム教の教義が主張しているのは、正しい宗教、つまりイスラム教を信じる「自由」です。ユダヤ教やキリスト教などは、間違いはあるが許容できる宗教として、信者がイスラム教の優位性を尊重する限り存在が認められますが、多神教は明確に排撃されます。実際、中東諸国で仏教寺院を建てることはできません。イスラム教の信仰を捨てる自由も認められない。欧州で「少数派の権利を守れ」と主張するイスラム教徒が、イスラム教が多数の社会では「少数派や異教徒は神が決めた区別を受けるのは当然だ」と信じているところにズレがあります。」
 「この問題は、「自由な社会は、自由を否定する思想も受け入れてなお維持できるのか」という普遍的な問いかけを含んでいます。ただ、欧州のリベラル派はそのことに気づいていない。自らが奉じる「自由」という言葉が普遍的であるという観念に惑わされ、西欧思想と同じ意味でイスラム教も自由で平等な思想だと勘違いしているからです。」

2015年5月17日 (日)

「TOKYO風景」

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 5月13日の朝日新聞の朝刊に載っていた「TOKYO風景」という記事、ひさしぶりに新聞を読んで感動した。

 いつもはインタビューする側だろう木村俊介という人を、藤生京子という記者がインタビューしているのだが、木村俊介という人が言っていることがいい。

 「雑誌や書籍でインタビュアーの仕事を始めると、普通の人たちの話をもっと聞いてみたくなった。時代の状況にあえてあらがわず、現実と折り合いをつけながら、歯車として働くことの大切さもかみしめる。「冷静な奴隷」と僕が呼ぶ人たちです。わかりやすい浮沈がある成功物語とは違うところで、それぞれの人生を踏ん張って生きる無数の人たち。一人ひとりの頭の中は本当にいろいろな感情が織り合わさって、とてつもなく広々としている。」

 自分のことをサラリーマン根性がからだにも心にもしみついていると時どき思うことがあるので、こういうコトバに出会うと気持ちがしずかに流れていくような思いがする。

 木村俊介という人は『変人ーー埴谷雄高の肖像』という本をだしている人。インタビュアーという肩書。

2010年9月12日 (日)

「もしもし下北沢」から

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 毎日新聞に一週間に一回という形で連載されていたよしもとばななの小説『もしもし下北沢』が終わった。結局第1話から最後の49話まで全部読んでいた。

 ここ何年か、よく読んでいる作家といえば、よしもとばななと藤沢周平ということになる。

 藤沢周平はぼくたちの社会で特別な意味をもつことになった作家だといえる。ぼくたちの社会の窮屈さというのは前の、昔の社会の窮屈さとはちがうもの、かなり質のちがうものになったといえるからだ。どういう言い方をしていいのか分からないが、なかなか息の抜きにくい窮屈さなのだ。

 藤沢周平の描く作品はこの強いからみつくような窮屈さをもつ社会のなかで、滅多にない息を抜ける場を提供してくれるものなのだ。

 藤沢周平が実際どんな人だったか、どういうふうに他人と接する人だったか知りようもないけれど、藤沢周平の資質の核にあったのは「おとなしさ」、「内気さ」だったと思う。

 1997年、69歳で死ぬまで藤沢周平の人となりも変わっていったかもしれないが、資質の中心にあるものは最後までそのままだったと思う。そのまま自分のなかにおさめていたと思う。

 ぼくは藤沢周平の小説を読むときに物語をたどっていきながら、藤沢周平の資質の核からにじみ出るものに、そこから浮かびあがってきたものに触れるとき、藤沢周平のかたちに正対することになったとき、心の息がゆっくり洩れるような思いがする。しーんとして静かになる自分がいる。

 もう一人よく読んでいるよしもとばななは、資質の輪郭というものはよくつかめない。(それが不思議なような気がするが、小説と公式サイトの日記の両方を読んでいる影響があるかもしれない)。

 何にひかれているかといえば、「受けのやわらかさ」というものにひかれているのだと思う。それはよしもとばななの文章から、よしもとばななの向く方向からきている。よしもとばななの書く物語はこの風景の道を歩いていくというよりも、風景の上に昇っていくようだ。街に立ったやわらかい塔のように思う。

 基本的に短距離走の詩的なふくらみをもつ文章はやわらかく読む者を受けとめる。体調のわるい時にも読むことができる小説なのだ。ラクだし、浄化される思いをしたことがある。

 『哀しい予感』、『アルゼンチンババア』、『体は全部知っている』、『サウスポイント』、『彼女について』とぼくは読んできた。そして『もしもし下北沢』の連載を読みはじめたとき、よしもとばななは同じようなテーマ、物語の繰り返しを書きつづけているように思った。

 くり返し書く。いつも似たようなことを書く。「選択」なのか、「考え」なのか、まだよく分からない。失望した気持ちも持ったけれど、そのまま『もしもし下北沢』の連載を読みつづけているうちに、ある時それはそれでいいじゃないかと思った。とにかく読む者に、ある力を伝えてくるのだから。なにかを受けとることができるならそれはそれでいいじゃないかと思った。

2010年6月25日 (金)

「死という鏡」

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 きのうの新聞、毎日新聞6月24日の朝刊に載っている連載批評、三輪太郎の「死という鏡」で村上春樹の『1Q84』<BOOK1~3>を扱っていて、いたく感心した。

 『1Q84』という村上春樹の長編小説を五つの層からなるものとして読み解いていて、こういう読み方があるんだな、おれには到底できない読み方だな、知識がちがうな、ずっと小説を読んできた人だからできるんだなと思った。

 文芸誌というものを読まなくなってしまったので、何がどうなっているのか分からず、三輪太郎という作家・文芸評論家はこの新聞の「死という鏡」<現代小説を読む>という連載批評で初めて知った。

 毎週木曜日の朝刊に文芸批評としては広くないスペースで簡潔に、読みやすく、面白く、劇的に、毎回ちがう小説の批評を書いていて、最初から興味をもって読みつづけていた。

 というわけで三輪太郎という人は大したもんだなと感心していたら、『「死という鏡」は今回で終わります』という掲示した1行をみつけて、びっくりしてしまった。もっとつづくと思っていた。残念だ。

2010年4月29日 (木)

「ひそやかな花園」

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 毎日新聞の日曜日に連載されている角田光代の「ひそやかな花園」を毎週読んでいたら、土曜日によしもとばななの「もしもし下北沢」の連載が始まった。どちらも1面の3分の2ほどを使っていて、新聞で本格的に小説が読める時代がきたんだなと思ったのを覚えている。

 よしもとばななの文章と角田光代の文章は対照的なものといえて、ふくらみと湿りをもつよしもとばななの文体と、思いをふくらませずに歩いていく角田光代の文体。

 その角田光代の「ひそやかな花園」の連載が終わった。親たちに連れられて毎年夏、渓谷のような場所に集まっていた子どもたちがいる。大人になっていまはバラバラに生きているが、その夏は「なつかしい時間」として彼らのなかに生きている。この「夏の仲間たち」が自分には出生の秘密がある、しかもあの夏にあつまった子どもら全員に共通している秘密なのだと気づく。生の秘密に向きあった彼らの、スリリングなところのある物語。

 よしもとばななの人間への視線があくまであたたかいのに対して角田光代の視線はやさしかったり、きびしかったり、かわいていたり、冷たかったりする。こわい人かもしれない。

 荒井良二の画が秀逸。小説とのバランスがよく、画がプラスの働きをしていた。