美術

2014年10月15日 (水)

上野に「北斎」を観に行く

 上野の森美術館に「北斎」展を観に行った。こんかいのぼくの感想を正直にいえば、北斎というのは、画家というよりも、江戸時代のイラストレーターみたいなものだったんだなというものだ。北斎の生涯にあこがれと敬意をもっていたから、自分でも意外な感想だった。

  企画展がかならずそうであるように多くのひとたちが観に来ていて、じぶんのペースでひとつひとつの絵を観ていくということはできなかった。じぶんのペースをつくろうと、人びとの行列のあいだをすり抜けて、観てまわるというふうにしたんだが、それも充分な<観る>ということにはならなかったのかもしれない。いつかゆっくりと北斎の絵を観る機会に出会いたいとおもう。

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2012年9月10日 (月)

林静一の絵を観に行く

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 国立駅南口にあるギャラリービブリオでやっている「林静一現代美人画展・読む」を観に行った。

 ギャラリーは木造の家を改装したもので感じとしては台東区根岸にある正岡子規の子規庵に似ている。場所の分かりにくさも似ていて、絵を観ているあいだ場所の問い合わせの電話が何本も受け付けにかかってきていた。

 赤色エレジーは特別な漫画だ。「体験した漫画」だ。その赤色エレジーのころの絵といまの林静一の絵がちがっていることに新鮮なおどろきを覚えた。「赤色エレジーのころと絵がちがってますね。」とギャラリービブリオのひとに思わず話しかけてしまった。

 考えてみれば40年くらいの時間が経っているわけだから、ちがっていて当たり前だ。しかし並べられている林静一のいまの絵を観たとき、そのことに新鮮なショックを受けたのだ。

2012年8月10日 (金)

上野に「ベルリン国立美術館展」を観に行く

 夏休みの最中上野の国立西洋美術館でやっている『ベルリン国立美術館展』を観に行った。

 お目当てだったフェルメールの「真珠の首飾りの少女」は目立たなかった。展示されている絵の流れのなかでは目立たないのだった。部屋に貼ってあるポスターの「真珠の首飾りの少女」のほうがずっと印象的だった。

 進歩など幻想のような気もしているが、これは進歩か、<進歩のような変容か>という絵の流れがあった。そう思ってもいい絵の変わり方のすっきりとした絵の流れがある時期あった。

 企画展の『ベルリン国立美術館展』のときか常設展の絵を観ているときだったかはっきり思い出せないが、そう観ることができた。

 ちょうど昼時に観終わったので、駅のまわりを歩いて、駅前にある「じゅらく」というお店に入った。創業時の大正13年の味のままというナポリタンを食べてみた。まあまあだったかな。

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2012年3月 9日 (金)

土屋裕正の絵

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 国立にあるギャラリーArt Space 88でやっている土屋裕正の個展を観に行った。どんな人なのだろうと、ネットで調べたら指を使って絵を描く人らしい。遠くから眺められた山の風景の絵が載っている。

 仕事が休みの日に観に行く。晴れ。雨がやんで晴れになった日。この日は『幕末太陽傳』という映画を観に行こうと思っていた。でも地元でいい絵に出会えるかもしれないということの方がリアルだった。

 雪がかぶっているような遠くから眺められた山のつらなりが描かれている絵がある。それよりも小さく描かれた果物や野菜の絵もある。ぼくはこの果物や野菜を描いた絵のおとなしさ、静けさ、おだやかさといったものが、明るく強いようで安定している赤の色調といったものが印象に残った。

 1階、2階に絵がかかってあって2階の絵を観たあとぼくは降りて、土屋裕正の絵を使った絵ハガキを買った。6枚買った。たばこをやめてしまった後は絵ハガキを集めるのがぼくのたったひとつの趣味なのだ。この6枚の絵ハガキは家に帰ってテーブルの上に置いてよく観たけれど、いいものだった。気に入っているものだ。この絵ハガキを買おうと思って渡した人が受付の横に立っていた土屋裕正さんで、長身、長髪の物静かな感じの絵描きさんだった。やはり絵は本人に似るのだ。

2012年1月 7日 (土)

ゴヤ展に行く

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 職場に貼ってあったゴヤ展のポスターのそばを何度も通るうちに、ゴヤの絵を観に行きたいなと思うようになった。ゴヤの絵というのはなんだかボーッとしているような、おっとりのんびりしている感じを受けるからだ。その絵がぼくのなかの何かを引きだすようだ。

 正月明けの6日、上野にある国立西洋美術館のゴヤ展に行った。天気のいい晴れの日。ゴヤの絵は思っていたとおり、輪郭をはっきりさせないボーッとしているようなおっとりのんびりしているものだった。それと空がいいと思った。青い空が美しい。よく塗りこめられた背景もいいと思った。

 ゴヤの絵から出てくるものは受け取った。さあ帰ろうと出口に向かったが、ここで帰ってしまえばよかったのだが、横で常設展をやっていて、「もう少し観たいな」と思い、ゴヤ展で使った入場券ではいれることもあって、つい入口に向かってしまった。

 1階にあるロダンの彫刻を観たあと、上にある15世紀くらいに描かれた宗教画、イタリアの絵だったと思うが、これもいいなあ、こういうのを宗教画というんだなと、興味をひかれて、ずっと観て回っていたが、二十点くらい観ただろうか、それぐらいの絵を観たところで、ぼくの体の情報許容量の限界点にきたことを感じた。ここで外に出た。

 12時過ぎの上野駅公園口、署名集めの人たちが駅の周りにいっぱいいる。その横を通り抜けて昼飯を食べれそうな店を探す。上野駅のまわりをぐるっと歩いているうちにアメヤ横丁という派手な看板の通りが見えた。ここなら食べれる所がありそうだとはいって行った。

2011年5月 4日 (水)

「写楽」を観に行く

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 東京国立博物館でやっている『特別展 写楽』を観に行った。

 予想通りの人の多さで、「鑑賞列」の中にはいったり、列の外側から写楽の浮世絵を観たり、自分のペースで歩いたり、そのなかでの印象、目に残ったことということになるが、写楽の描いている絵の顔のデカさ、顔の表情、表情のやわらかさというものが残った。そしてこれは「絵」というよりは「浮世絵」と呼んだほうがいいものなのだろうと思った。

 館の中での、絵を観るときの人の多さにはまいったが、でも大勢の人がいる所に出かけるのもいいものだと思った。上野駅から国立西洋美術館、国立科学博物館と通り過ぎて、「写楽展」をやっている東京国立博物館まで行くのだが、その間もあふれるほどの人がいて、道いっぱいに大勢の人と歩いていると気持ちがよかった。

  

2010年10月11日 (月)

石井一男の「女神」を観に行く

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 銀座にあるギャラリー枝香庵に石井一男展を観に行く。

 有楽町の駅を降りるとすごい人混みで、銀座ってこんなに人が集まる所だったんだろうかと思う。

 石井一男はテレビ『情熱大陸』で観た印象が鮮烈で、無防備に絵を観ることができるんだろうか、とそのことを考えていたが、絵はぼくの先入観とはちがっていて、やわらかい絵だった。観る者との間合いをゆるやかに取る絵で、そのことにショックを受けた。

 何点かの「女神」があってそのなかの一つに心ひかれたが、小さな画廊で、ずっと観ているわけにもいかない。石井一男という画家にぼくは「孤独」というイメージをもっていたが、切り立ったものよりもやわらかさを強く感じさせる絵だった。仏像のようだと思ったし、観る者との境界をこの画家は独特のやり方で、何度も何度も塗って塗って埋めて、消してしまっているんだろうかとも思った。

 駅に向かう。なじみのない大きな街でぼくが何も考えずにはいれるところといったら本屋しかない。もう少しこの街にいようと思って本屋の方に歩いた。

2009年7月21日 (火)

齋藤秀男遺作展

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 国立にある画廊「岳」でやっている「齋藤秀男遺作展」に行ってきた。

 齋藤秀男はおなじ街に住んでいた画家で、二人で話したということはあんまりなかったが、知人らの集まりの席で顔を合わすことがあれば絵の話をしたり、ぼくが書いている詩の話をすることがあった。

 この遺作展で齋藤秀男の絵をまとめて観たが、面白いものだった。誰かの影響はあっただろうが、絵の底に「齋藤秀男」というオリジナルなものを感じることができた。

 20点ほどの絵は1970年代、1980年代のもので、1990年代と2000年代のものはなかった。90年代に齋藤秀男が絵を描いているところを見ているが、目指したとおりのものは描けなかったのだろうか。

 齋藤秀男はある時から絵を描くのをやめた。描かなくなった理由として手の腱鞘炎のことを言っていた。しかしぼくには齋藤秀男は絵を描くことを、表現することを断念した人間というイメージがある。

 どういうわけか、あるとき、生の途上で齋藤秀男は表現することを断念した。そのときの齋藤さんのオーラは強烈で、抑制する生の倫理を感じた。生活することを選んだのだ。齋藤秀男は主夫になった。このころの齋藤秀男の姿は美しいものだったといえる。

 断念を生きれば、また人は違うものを観てくるのだろう。主夫に専念した時間が過ぎるなかで齋藤秀男はまた絵への関心を持ちだしたようだった。腱鞘炎を治したいと言うことがあったし、画廊で受け付けをしていた奥さんの話によれば、風景なら描けるかもしれないと洩らすこともあったらしい。

 動物と人間が混在するような不可思議な油絵を描いていた齋藤秀男の描く風景画というものには興味がある。どんな絵を描いただろう。

 齋藤さんは悩んでいた、苦しんでいた。53歳で死んでしまった。しかし作品が残っている。いろんな渦に巻きこまれただろうが、作品は残っている。これは表現をした人間のもつ強味だ。

 画廊で冷えた麦茶をごちそうになりながら、奥さんと少し話をした。画廊の中も外も明るかった。硬い質感が心地よかった。齋藤さんの次の個展のときも知らせてほしいとお願いした。それから外に出た。