芸能・アイドル

2016年1月22日 (金)

スマップ騒動

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 こんどのスマップの解散騒動をずっとみていておもったことは、日本の芸能界では事務所の意向というのが絶対で、個人の意向というのはゼロ扱いなんだなということだった。

 スマップのファンということでもないし、とくに関心があるというのでもないので、解散の報道があったときも、スマップのメンバーのうちの4人が独立するようで、あとのひとりの木村拓哉はジャニーズ事務所に残るようだということを聞いても、ああそうなんだとおもっただけだった。

 そのうちテレビでスポーツ新聞の記事を引用するかたちで、4人の独立があやしくなり、木村拓哉が事務所との仲介をやっているということを報道したときは、木村拓哉に変な感じをもった。

 謝罪会見というものも生で観る気にならず、後で、ほかのテレビ番組でその場面が放送されるのを観ただけだが、中央に立って、「ただ、前だけを向いて・・・」みたいなことをしゃべっている木村拓哉が気持ち悪かったな。報道する側の対応もふくめて、全体にすごくいやな感じがして、それからはテレビ番組でスマップの解散についての話題がとりあげられるとチャンネルを変えていた。

 事務所側に問題があるのではないか、これはスマップのメンバーの問題ではなく、ジャニーズ事務所の問題なのではないかという視点を提供していたのは、ぼくが観たかぎりでは「TOKYO MX」の朝の報道番組だけだった。

 スマップと事務所の関係というのは象徴的なことといえて、日本の会社とそこで働く者である社員、パート、アルバイト、派遣などの関係に置きかえられる。そのものだといえる。だいたいのところは働いている人間というのは忍従をしいられてしまう。

 考えればおれにしたって、ほとんど文句もいわないで、たいてい何があっても黙って働いてきたといえる。長いあいだそうしてきた。日本中の職場で働いている人間の、ほとんどがそうだ。

 だから現われたと思ったら、ただ謝っていたスマップのメンバーのことをどうのこうのはいえないのだ。

 ただおれは<出世欲>にとりつかれて、職場の仲間をけり飛ばすようなことはしなかったよなと思った(さんざんけり飛ばされはしたが)。

 テレビでのスマップの謝罪会見に感じた気味悪さはじぶんの考えをいうわけでもなく、ただじぶんに責任があることにして謝っているスマップのメンバーのあまりにも日本的な光景と、もうひとつ、真ん中に突っ立っていた木村拓哉にあるのだとおもう。ぼくは木村拓哉という人は<出世主義者>じゃないかと推測したのだ。

 事務所を権力をもつ側としたら、力をもつ側としたら、木村拓哉という人は何を考えて行動していたんだろうと、ぼくはおもってしまう。

 なんか面白くないなあとおもっていたら、藤原新也の公式サイトであれは「公開処刑」なんじゃないかという見方があることを知った。

 「ジャニーズ帝国による公開処刑だとネットではもっぱらの評判だが、」と藤原新也は書いている。藤原新也も今回のスマップ騒動をうす気味悪わるくおもっていたのだ。

 それで「スマップ公開処刑」で検索するとなるほど、そういう意見がいっぱいでてきた。それが実際にあったことに近いだろうとおもえる記事もあった。この件にかんしてはテレビや新聞よりもネットのなかによく見ている記事がある。

 ホッとした。

 おれだけがストレスをためていたわけじゃないと知った。

 「出世主義者」は「出世」するだろう。こういう人間がいると都合がいいと考える人間がいるからだ。

 しかし人相には気を付けたほうがいいね。濁りが顔に出てくることがあるから。