きのうの新聞
きのうの毎日新聞夕刊の津村記久子のインタビュー記事が面白かった。
1ページの3分の2くらいのスペースの記事だったが、小説に負けないくらい面白かった。
よく分かった。生きていく工夫をいろいろやっているんだなと思った。もう新聞を切り抜くということはしていないが、一瞬切り抜いて取っておこうかと思ったくらいだ。
曇り。
きのうの毎日新聞夕刊の津村記久子のインタビュー記事が面白かった。
1ページの3分の2くらいのスペースの記事だったが、小説に負けないくらい面白かった。
よく分かった。生きていく工夫をいろいろやっているんだなと思った。もう新聞を切り抜くということはしていないが、一瞬切り抜いて取っておこうかと思ったくらいだ。
曇り。
テレビのニュースで村上春樹がエルサレム賞を受賞したときの講演を見ていた。いい印象をもった。まじめでまともな人なんだなと思った。
イスラエル対パレスチナという政治的思考を外したところに出ていく立場をとったのはさすがだと思った。
ぼくが村上春樹がイスラエルでエルサレム賞という文学にたいしての賞を受賞するということを知ったのは、ある人が出しているメール版個人誌でだった。イスラエルの政治的な立場をとりあげて、かなり皮肉な見方を村上春樹にたいしてとっていたように思う。こりゃあ、大変だな、村上春樹さんは「なんで、おれに賞なんかくれるんだろう」とぼやいているんじゃないかと思った。それで興味をもって新聞の報道を読んだし、テレビでの受賞スピーチのニュースを観た。
賞というものはやるといったら、基本的にもらうしかないものだろうし、「この賞をもらうことによって、イスラエルの立場を支持しているのではないかと思われることを心配した」というようなことを率直に言っているのがよかった。心のなかで、それを認めることによって、この受賞にたいして自分はどうするのかという思考がリアルに動いていったんじゃないかと思う。
そしてそれを観ているぼくは、メール版個人誌に載っていた批評がきわめて政治的な思考であり、それ以外の思考をゆるさないものだと気づいた。
これから『海辺のカフカ』を読もうという者にとって、村上春樹が、この受賞にたいしてとった態度は、本を読むことのじゃまになるものではなかった。まあ、何のニュースにもならないほうが読みやすくはあるけれど。
きのうの毎日新聞の朝刊「悼む」の欄に載っていた藤原章生記者の筑紫哲也さん追悼記事はいい文章だった。
「NEWS23」はずっと見ていて筑紫哲也さんという人はマスコミの一員であると割り切って仕事をしているという印象もあったが、キャスターが代わってみると筑紫哲也という個性が番組の大きな柱の一つだったことがよく分かる。
三年まえに母が死んだ。それを合図のようにして、知人、友人、親類のおじいさん、親類が死んだ。
武蔵野赤十字病院に入院している友人を見舞いにいったときはつらかった。きびしい闘病生活をあらわして友人の体の一部が変形しており強いショックを受けた。
二人で病室にずっといると、こちらの体にも歪みが生じてくるようだった。「また、こいよ。」と友人はいい、「ああ、また来るよ。」とぼくは答えたが、ぼくはもう見舞いに行くことができなかった。このときから「死がダメになった」。
そのあと大阪の親類のおじいさんの葬式に出ることになったが、このときは完全に腰がひけており、死に顔をみないですむ位置を選びつづけた。出棺のまえ花を投げ入れざるえなくなって、おそるおそる死に顔をのぞいたが、苦しんで死んだ顔ではなかった。心の底からほっとした。年を充分にとって死んだひとの顔は人に不安感をあたえない。母の死顔もそうだった。
いまでも「死」は苦手で、ぼくのすきな歌い手の早川義夫さんの伴奏者で、病死したバイオリニストのHONZI(ホンジ)さんの遺作ともいえるCDが出ているが、ぼくは買うことができない。彼女が小さなライブハウスで歌った「みんな夢の中」の歌をまだ覚えているが、聴く気になれない。
これは身体の本能からくるサインであり、こういう声にはしたがったほうがいいのだと今は考えている。
というわけでこの「悼む」の記事はあんまり読まなかったけれど、筑紫哲也さん追悼の文章は二回読んだ。
記者が記者本人の思いをつづることよりも死んだ人に語らせているのがいい。実際いいこと言っている。
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