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「思考のうちには対象を否定する作用がふくまれますが、ものごとを概念的にとらえるにはこの否定作用が必要です。それは目の前のものを直接にとらえる意識のおしゃべりよりも、はるかに深いものです。それにくらべると、東洋人は自然と一体化して生きている、といういいかたは、皮相で不正確な表現です。というのも、霊魂の活動たる精神はたしかに自然と関係し、自然の真実と一体化しているけれども、この一体化は、じつのところ、その本質からして、あるがままの自然を否定する契機をふくむからです。自然と直接に一体化しているのは、動物の生活、感覚的な生活、知覚にすぎません。精神は自己のうちに還り、自然なものを否定することを通じてはじめて自然と一体化するのです。」
室温3℃だった。寒いはずだ。
ウクライナのことを考えた。
「東洋の精神のうちに、思考による反省や区別の意識が登場し、原理が明確化されようとすると、明確化のためのカテゴリーや観念は実体的なものとうまく統一されない。そのとき、すべての特殊なものが粉砕され、節度のない東洋的崇高さがあらわれるか、もしくは、明確に秩序立てられた観念が認識される場合には、それは無味乾燥で、分別くさく、精神のないもの、思索的な概念を受けとめることのできないものであるか、のいずれかです。この有限なものが真理に到達するには実体のなかに沈潜するほかなく、実体と切り離されているかぎり、みすぼらしさを脱しえない。だから東洋には、無味乾燥な分別知、たんなる概念規定の列挙、古きヴォルフ論理学のごとき論理学しかない。宗教儀式も同様で、礼拝への沈潜、ついで、おそるべき数の式典と行事、そして他方には、すべてが没落するような度はずれの崇高さが、見られます。」
室温が8℃だった。10℃を切った。冬だ。
布団からなかなか出ることができなかった。
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