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2011年7月

2011年7月28日 (木)

「大鹿村騒動記」を観にいく

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 原田芳雄の遺作。親近感をずっともっていた俳優。特別な俳優になったのは1974年に黒木和雄の監督した『竜馬暗殺』を観てから。鮮烈な印象の映画だった。ほかにはやはり黒木和雄が監督の『祭りの準備』かな。どちらも「時代の映画」だった。

 チケットを買いにいったらごく前の席しか残っていないのであきらめて、そのあとの回の上映のチケットを買った。6時間ちかいあいだがある。どうする。駅ビルの本屋に行って欲しかった本を図書カードで買った。それからとりあえず喫茶店にむかって歩いた。

 つまらない映画だったら困るなと思っていたがそんなことはなかった。軽味のあるのんびりしたなつかしいようなリズムをもった映画だった。風景の撮り方がいい。映画のもつ質感のようなものがいいな。この映画にはぼくの好きな俳優が三人でている。原田芳雄、石橋蓮司、松たか子。

 長野県大鹿村で300年つづいているという村歌舞伎。その歌舞伎で主役を張ってきた男、風祭善(原田芳雄)のもとにある二人連れがやってくる。ふたりは18年前に風祭善のもとから逃げ出した妻(大楠道代)と親友(岸部一徳)だった。駆け落ちした二人がもどってきたのだ。

 最初からねじを目いっぱい巻いた物語の設定がすごい。あとはねじが回転し戻っていくのをみてればいい。原案は延江浩、脚本は荒井晴彦、監督は阪本順治。

 原田芳雄は声がしわがれるところがたまにあったが、それだけで、こういう強弱重軽自在のちからの加減もできるんだなと思った滑稽味のある演技。原田芳雄が最後に出た映画はいい映画になっている。

2011年7月26日 (火)

朝の空

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 曇り。

 エイミー・ワインハウス死す。彼女の歌う『ウィル・ユー・スティル・ラブ・ミー・トゥモロー』が好きだった。

2011年7月24日 (日)

「ハリー・ポッターと死の秘宝PART2」を観にいく

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 『ハリー・ポッター』シリーズもとうとう最後。テレビで第一話を観て、これかなり面白いと思って、あとは映画館で観てきた。最高のシリーズの一つだと思う。

 というわけで期待して観に行った。字幕がいいだろうと字幕版を選んだら3Dのものしかないと言われて、3D字幕版で観ることになった。

 結果からいえば、『ハリー・ポッター』シリーズの最終作『ハリー・ポッターと死の秘宝PART2』は3Dにする必要はなかったと思う。作品としてそう思うし、ふだんメガネをかけているから、その上に3D用のメガネをかさねることになる。どうもよくないと3D用のメガネを取ると映像がぼやけてみえる。そういうふうだ。このシリーズの最後をいい状態で観たかったけれど。

 『ハリー・ポッターと死の秘宝PART2』、映画そのものはよかったといえる。最終作にふさわしい出来だと思う。暗黒の男ヴォルデモートひきいる悪人どもとハリーらヴォルデモートと戦おうとする者たちの最後の決戦を軸にして、ロンとハーマイオニーのロマンス、ハリーの死への恐怖と葛藤、スネイプの哀しい秘密、ロングボトムの活躍といったことが展開していく。

 全部映画にするとおそろしく難しいことになってしまう原作のストーリーのあちこちはバサッと捨てて上手く映画にしている。

 決戦の舞台はホグワーツだ。攻めるヴォルデモート、大軍勢だ。守るハリーたち。魔法の学校ホグワーツはぼろぼろだ。最後の戦いにふさわしい迫力。映画の魅力がいっぱいだ。ホグワーツの城に悲鳴がひびき、ハリーの仲間たちが次々に倒れていく。シリーズのなじみの顔が死ぬと観ているこっちも感情が高ぶる。

 ヴォルデモートと一対一で戦うハリー。ロンやハーマイオニー、ロングボトムの力を借りながらハリーはついに宿敵ヴォルデモートに勝つ。世の中を魔の力で支配しようとしたヴォルデモートは滅んだのだ。こなごなに、霧のように、煙りのように、消えて無くなった。

 戦いが終わったあとの三人が、ロンとハーマイオニーとハリーがたたずんでいる場面が印象的だ。長い物語が終わったんだなと思う。

 

 

2011年7月19日 (火)

原田芳雄死去

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 原田芳雄死去のニュースにショックを受けている。

 長い間観てきた俳優だった。さみしいなあ。

「ひょうたん」44号合評会

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合評会をやった店の外の風景



 『ひょうたん』44号の合評会が飯田橋でおこなわれた。

 43号の合評会は震災の影響で中止になったので、去年の10月にやった42号の合評会以来だ。

 合評会に先立っていくつかのことが討議されたというか、相談された。同人内部のことだけれど、参加できなかった人もいるし、記録としていつでも確認できるように書いておこうと思う。それに発行部数が450なので関心のあるひともいるんじゃないかと思う。

 話し合われたことは、

 1 『ひょうたん』の制作費値上げのこと

 2 『ひょうたん』の文字の刷り色のこと

 3 合評会の開く場所のこと

 4 作品は編集上の都合があるので、なるべく偶数ページをこころがけること。詩1編は6ページ以内とする

 5 新しい同人希望のひとがいるので、そのことについて

 新しく同人になるものについては同人全員の了解を必要とすることというこれまでの決まりが再確認された。(これは同人誌であることの重要な原則だと思う)

 同人誌というもののかたちは、関わり方の濃淡というものはそれぞれの人によって出てくるだろうし、『ひょうたん』のために動ける人、動けない人というのもいるわけだから、同人誌というもののじっさいのあり方は造りつづけていくということになるんだろうと思う。

 あとはそれぞれの人たちの作品評をおこなった。ぼくはふだんは詩を書く人たちと話をすることがないので、こういう言葉のあり方、会話のあり方というのはやはり新鮮だ。ほかのどこにもない。

2011年7月17日 (日)

暑い

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 きのうの夜は開けた窓から風がはいって夜中に目がさめないで眠れたが、ふだんはそうはいかない。

 暑苦しさに何度か目がさめる。北側と南側の窓を開けても風が通っていかない夜は何度も起きてしまう。 夏ってこんなものだったんだろうかと思うが、ずっとこんなふうだな。

2011年7月12日 (火)

夏の空

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 晴れ。夏の雲。

2011年7月 7日 (木)

ごみ出し

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 ペットボトルのごみ出しに行ってきた。

 今日もむし暑そうだ。

2011年7月 5日 (火)

勝海舟「氷川清話(ひかわせいわ)」

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 勝海舟がしゃべっているのをまとめた『氷川清話』(江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫)が面白い。

 この本の元本になっている吉本襄(のぼる)が編集した『氷川清話』は、吉本襄が勝手に勝海舟がしゃべったことを書き換えてしまった箇所が多くあるものらしい。その本が出回ってしまった、その本が広く一般に出回っている、ということで編集に携わっている松浦玲の、この吉本襄の書き換えについての切っ先するどい註、訂正が最初に続く。

 これを読んでいくのが面倒でもあるが(波に乗れんのだ)、これが過ぎるとだんだん勝海舟の話の面白さに引き込まれていく。

 勝海舟は面白い奴だと思う。快男児というのだろう。痛快だ。こういう人がじっさいにいたんだなあ。

 西郷隆盛、坂本龍馬、木戸孝允、山内容堂らの同時代を生きた者への人物評、証言。宮本武蔵、北条早雲、西行、新井白石ら勝海舟からすれば歴史上の人物への思い、評価。

 いろいろなことをしゃべっているが、「難民の救済」という題の付いているところでは、「天災とは言ひながら、東北の津浪(つなみ)は酷(ひど)いではないか。」というしゃべり出しで、勝海舟の時代にも東北に大津波があったんだと驚かされる。勝海舟は明治政府の大津波の被害への対応に疑問を呈している。こういうことに関しては江戸時代のほうがていねいな救済の仕方、防災の仕方をしていたというのだ。

2011年7月 3日 (日)

朝の空

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 曇り。

 夏の夜、むし暑いときは北側と南側の窓を開けて寝ている。風が通る。眠れている。ただ起きたとき理由はわからないが身体がだるい。カーテンを開けているので、朝の光が早く入ってくるせいだろうか、よくわからない。

 テレビ『ボクらの時代』で大楠道代、岸部一徳、原田芳雄がしゃべっていた。

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