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2009年12月

2009年12月31日 (木)

「アバター」を観る

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 『アバター』(監督ジェームズ・キャメロン)を観た。

 『タイタニック』のジェームズ・キャメロンの映画。押井守監督の「完敗だ」という感想が決め手になった。

 はるか遠くパンドラ星に住むふしぎな部族ナヴィ。自然と交歓して生きるナヴィの人々。かれらを「先住民」と呼んで鉱物資源をねらう地球の企業。

 未来の話、科学技術は進んで、ナヴィ族と同じ容姿、身体を創りだし、その身体と人間を「リンク」させることによって、その身体は意識をもつ。その身体は「アバター」と呼ばれる。元海兵隊員のジェイクのアバターはナヴィ族の情報を得るために送りこまれる。

 貴重な鉱物資源を手に入れるためにはナヴィ族がどうなろうと知ったことではない地球の人間たち。時間はかけたくない。地球の企業が雇った兵隊たちがナヴィ族を襲い、ついにナヴィ族との戦いになる。

 アメリカ大陸の先住民と開拓民の話を見ているようでもあり、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を思い出す。パンドラの星にある浮かぶ山は『天空の城ラピュタ』のようだ。

 この映画の売りはジェームズ・キャメロンの作りだした3D映像ということで、3Dでは観なかったのだが、これまでの映像よりも立体感があるようだ。光がこまかく美しかった。ジェイクとリンクしたアバターとナヴィ族の娘ネイティリが森のなかで愛を交わす映像は美しい。

 はらはらドキドキで見ごたえがあるが、アバターは人間とリンクされてはじめて意識をもつ存在で、自身では行動できず、複雑というか、ワンクッション置いた存在で、まどろしくもあり、『タイタニック』のようなさっぱりとした感動はない。

 『アバター』はいわば「反科学」「反進歩」のメッセージをもった映画だが、2009年の暮れ、抵抗感はない。そういう時代になったというか、われわれは疲れてしまったのだろう。

2009年12月30日 (水)

朝の空

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 晴れ。

 うちのりみさんからいただいた『VOYAGER(ボイジャー)』1号を読む。

 「某大学芸術学部文芸学科 文芸創作実習Ⅲ 実習誌」とあり、いまの大学生の人たちの書いた詩、小説、短歌、俳句、評論、エッセイなどを読む。 

2009年12月29日 (火)

朝の空

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 曇り、しかし晴れそうな気配だ。ひさしぶりに空の写真を撮った。

 今日から休み。疲れがたまった。くつろごう。

2009年12月24日 (木)

村野美優の「草地の時間」

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 村野美優(むらの・みゆう)の『草地の時間』(港の人)を読んだ。

 このところリズムのいい、行間に広がりを感じさせる平明な詩を読んできたけれど、村野美優の『草地の時間』はちょっと感じがちがう。平明であるけれど、優しくはあるけれど、切り立ったところがある。背中の線のするどいところがある。ふしぎな影のうすさもある。この「影のうすさ」というのが村野美優の個性だと思う。

 とにかくぼくは仕事が終わったあと、夕食を食べたあと、何日間かこの詩集を熱心に読んだのだ。ふつう仕事が終わったあとは、ひたすらくつろぐことに努めるけれど。 

2009年12月13日 (日)

コミュニティマガジンとこころとからだと

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 『コミュニティマガジン い 』(いの会)創刊号を読む。コミュニティマガジンという名付けに少しそそられた。最初に挙げている「はじめに」がいい。

 人生の基本はニュートラルだとつくづく感じる。常に悲しかったり、苦しかったり、さびしかったりするのはやはり妙なことなのだ。こころはニュートラルな状態をもってこそ、通過してこそ、うまく働くのだと思う。ずっとエンジンがかかりぱっなしというのも、ほんらいはおかしなことなのだ。

 そして人間というものは、人間の自然というものはずっとさびしくも、ずっと悲しくも、ずっと苦しくもないはずだ。体の不調や、経済的な困窮、圧しかかる環境につかまっていない限り、そうはならないはずだ。

 ぼくたちはニュートラルな場所から出ていき、帰ってくる。そしてニュートラルな場所からまたどこかへ出かけていくのだ。こころとからだはそんなふうに働くのだ。そう働いてこそこころとからだは力を強く出しきることができるのだ。

2009年12月10日 (木)

谷崎潤一郎の「文章読本」3

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 谷崎潤一郎の『文章読本』、読み終わった。多くを学んだ一冊。いつかまた読みかえすことになるだろう。

 谷崎潤一郎はあくまで小説家なんだなと強く意識させられるとこと、素の谷崎潤一郎が出すぎているのではないかと思われるとこ以外は強く引きこまれた。

 日本語についていえば、規範を<外>にばかり求める必要はなく、規範はもう一つ、ぼくたち日本人のなかにもあると思った。おびやかされる感じがかなり減ったように思う。

2009年12月 7日 (月)

谷崎潤一郎の「文章読本」2

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 谷崎潤一郎の『文章読本』を読みすすめる。

 これは名著なんだろうな。そういうことになっていると思う。読んでいてエキサイトする。すごいもの読んでいるという感じがする。

 非常にていねいに、わかりやすく、噛んで含めるように書く。言葉というものをこれ以上はないというほどよく知っている人が、読者のほうに、平明な方へ降りてくる。『文章読本』を読む限り、谷崎潤一郎というのはたいした人じゃないかという気がする。 

2009年12月 4日 (金)

谷崎潤一郎の「文章読本」

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 思わぬひろいものかもしれないのが古本屋でなんとなく買った谷崎潤一郎の『文章読本』(中公文庫)。三島由紀夫の『文章読本』はどうにもつまらなかったが、これはいけるかも。

 谷崎潤一郎は気難しいイメージがあるが、これは分かりやすくくだけて書いてある。まだ読みはじめだが。

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