「アバター」を観る
『アバター』(監督ジェームズ・キャメロン)を観た。
『タイタニック』のジェームズ・キャメロンの映画。押井守監督の「完敗だ」という感想が決め手になった。
はるか遠くパンドラ星に住むふしぎな部族ナヴィ。自然と交歓して生きるナヴィの人々。かれらを「先住民」と呼んで鉱物資源をねらう地球の企業。
未来の話、科学技術は進んで、ナヴィ族と同じ容姿、身体を創りだし、その身体と人間を「リンク」させることによって、その身体は意識をもつ。その身体は「アバター」と呼ばれる。元海兵隊員のジェイクのアバターはナヴィ族の情報を得るために送りこまれる。
貴重な鉱物資源を手に入れるためにはナヴィ族がどうなろうと知ったことではない地球の人間たち。時間はかけたくない。地球の企業が雇った兵隊たちがナヴィ族を襲い、ついにナヴィ族との戦いになる。
アメリカ大陸の先住民と開拓民の話を見ているようでもあり、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』を思い出す。パンドラの星にある浮かぶ山は『天空の城ラピュタ』のようだ。
この映画の売りはジェームズ・キャメロンの作りだした3D映像ということで、3Dでは観なかったのだが、これまでの映像よりも立体感があるようだ。光がこまかく美しかった。ジェイクとリンクしたアバターとナヴィ族の娘ネイティリが森のなかで愛を交わす映像は美しい。
はらはらドキドキで見ごたえがあるが、アバターは人間とリンクされてはじめて意識をもつ存在で、自身では行動できず、複雑というか、ワンクッション置いた存在で、まどろしくもあり、『タイタニック』のようなさっぱりとした感動はない。
『アバター』はいわば「反科学」「反進歩」のメッセージをもった映画だが、2009年の暮れ、抵抗感はない。そういう時代になったというか、われわれは疲れてしまったのだろう。
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