2026年2月16日 (月)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅲ」から

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「明朗なギリシャ世界では、主観は国家や世界と強くつながり、国家や世界のうちに生きていたのですが、不幸な現実のなかにあっては、人間は自分のうちに引きこもり、世界のうちにはもはや見出しえない統一を、自分のうちにさがし求めねばなりません。ローマ世界は抽象的な世界であり、教養世界の上部に唯一の支配、唯一の支配者が君臨します。国民の個性は抑圧され、外的な権力が抽象的な共同性として個々人にのしかかってきます。そうした分裂状態のもとでは、どこかに満足を求め見出す必要が生じる。」

2026年2月15日 (日)

映画館で

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「時計じかけのオレンジ」。

だいぶ昔に観たな。

 

2026年2月14日 (土)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅲ」から

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「では、本来の具体性をどこに求めるかというと、それが特定の一般理念のうちにではなく、各自の自己意識のうちにしか求められないのです。」

2026年2月13日 (金)

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2026年2月12日 (木)

コリン・デクスター「ウッドストック行最終バス」 

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訳 大庭忠男。

読み応えがあった。

イギリスのテレビドラマの原作にもなっている。

まさにミステリー。

「ダ・ヴィンチ・コード」のダン・ブラウンよりもコリン・デクスターの方が味わい深い。

 

 

2026年2月11日 (水)

パンを食べる

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2026年2月 4日 (水)

三島由紀夫「午後の曳航」

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三島由紀夫の三十八歳のときの作品。

昭和三十八年。1963年。

三島の遺作となる連作『豊穣の海』の最終巻「天人五衰」の7年前の作品だ。

『豊穣の海』のような装飾的な文章ではない。小説の中の場面がゆっくりと遅く、多くの字数を費やして語られる。

やはり心理描写の細やかさには感心するが、ここでも三島由紀夫の幼児性を感じてしまう。よくいえば38歳になっても少年の心の世界を生き続けることができていたということだ。それは遺作となる『豊穣の海』まで続いていたのだろう。

 

こういった小説は今は書かれないだろう。書く気にならないだろう。書くことができないだろう。

触れることを恐れるというか、最初に現実に接したとき火花が散ってしまうというか、

三島由紀夫は観念が現実に触れることを嫌がっていた。観念が現実に触れたときに死ぬということを考えていた。

 

昭和の戦後という時代は、1970年代の終わり頃までは、ひどく真面目な時代だったのだ。

今では考えられないほどに。

もう人たちはそのようには生きられない。

 

小説の終わり方はよかった。

 

2026年2月 3日 (火)

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2026年2月 1日 (日)

河原で

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2026年1月31日 (土)

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