書籍・雑誌

2022年6月30日 (木)

「整体かれんだー」を買う

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ブックオフで片山洋次郎さんの『整体かれんだー』をみつけて買った。

ふつうサイズの『整体かれんだー』は持っているが、ブックオフでみつけたのは文庫版の『整体かれんだー』だ。

これだといま持っている『整体かれんだー』より新しくなっているというか、更新されているところがあるんじゃないかと思った。

 

 

 

2022年6月27日 (月)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から

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ヘーゲルのいう具体的ということのイメージがはっきりつかめない。ぼくが少年の頃、この村で長老たちの語る具体的というコトバは、跳ぼうとする少年の心を押しひしゃげるコトバだった。

その具体的というコトバは心にへばりついている。

 

 

 

2022年6月26日 (日)

「雨」

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「雨」という詩を『詩的現代』1号に書きました。

『詩的現代』は前号が40号なのに、なぜ1号なのだと思われるでしょうが、前号は正しくは「第二次詩的現代」の40号でした。今号は新しく第三次となったからです。

第三次第1号です。『季刊詩的現代』から「季刊」が抜けています。

これからは新しいかたちで始まるとのことです。

 

 

 

2022年6月19日 (日)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から

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「無限で、普遍的で、自分の声を聞き取る精神は、自己を限定や限界や有限性そのもののうちに聞き取るのでも、それらと関係をもつのでもなく、自己を自己のうちに、自己の無限性のうちに聞き取るからです。

哲学は本質を認識するものだといわれる。肝心なのは、なにかの本質がそのなにかの外にあるのではないということです。わたしの精神の本質はわたしの精神そのもののなかにあるので、外にあるのではない。」

 

 

 

2022年5月31日 (火)

「1964年の芸術新潮」

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2022年5月23日 (月)

小西聖子「犯罪被害者の心の傷」を読みはじめる

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参考になる。

 

 

 

2022年5月21日 (土)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から

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「精神は証言のなかではじめておのれを創造する。精神はおのれ自身を創造し、おのれを証明し、おのれを示し、おのれをあきらかにすることによって存在するのです。」

 

 

 

2022年5月 7日 (土)

アラン・フィンケルクロート「思考の敗北あるいは文化のパラドクス」(訳 西谷修)

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この本とは縁というか、因縁があって、前に読んでいるときある事情から読みつづけることができなくなったのだ。1989年12月のことだ。

この「1989年12月」というのはぼくのなかに大きく印字されている<時>で、とても大きな出来事があったのだ。

だから、「あの時読んでいて、そのとき読めなくなった本」としてぼくのなかにずっと残っていた。

 

そして一度読もうとしたことがあったが、すぐやめている。まだその時がきていなかったのだ。

ようやく読むときがきたと思う。

この本を開けるとメモが残っている。一度読もうとしてやめたとき書いたメモだ。

「これは今よむと何がよかったのかわからん。たぶん硬い人間だったおれが硬いまま流れていけるところをさがそうとしたのだ。全部読んではないだろう。」

 

今はけっこう興味深く読める。アラン・フィンケルクロートの視線に意味あるものをみることができる。

この本の前で立ち止まったのがわかるような気がする。自分が自分のまま歩いていける道を探していたのだ。

1980年代のぼくにとって緊迫した問題だった。現実の生の問題だった。よくこの本をみつけたものだと思う。必死だったのだ。

 

 

 

2022年4月18日 (月)

アガサ・クリスティー「謎のクィン氏」(訳 嵯峨静江)

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これもいい。

 

 

 

2022年4月 1日 (金)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から

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「精神は普遍的なものとしてはみずからを対象とし、特殊なものとしてはこの個人のうちにやどる。」

 

 

 

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