朝の空
晴れ。快晴。
松井秀喜、ワールドシリーズでMVPのニュース。よいニュース。松井は邪気のない感じがいい。
形のよい詩として心にのこっていた『SPACE』(SPACEの会)88号の松木俊治の「美術館に行く」を読み返してみる。
やっぱりいい詩だ。テンポがよく、終わり方(止め方)がいい。
晴れ。快晴。
松井秀喜、ワールドシリーズでMVPのニュース。よいニュース。松井は邪気のない感じがいい。
形のよい詩として心にのこっていた『SPACE』(SPACEの会)88号の松木俊治の「美術館に行く」を読み返してみる。
やっぱりいい詩だ。テンポがよく、終わり方(止め方)がいい。
この社会のなかでどうすれば「希望」を語ることができるのかと考える。どの位置にいけばそれはみえるのだろうと思う。
街の大通りでは天下市という名で出店がいっぱい並んでいる。本屋にはいろうと思ったが、自転車の置ける場所がなかった。
晴れ。寒くなった。
詩人の奥村真さんが9月末亡くなったらしい。びっくりした。なんとなく親近感をもっていた人だった。
ご冥福をお祈りします。
晴れ。
もう朝は寒くなった。
曇り。
『カムイ外伝』を観に行った。
白土三平の漫画『カムイ外伝』の実写化。崔洋一監督。
松山ケンイチのカムイが運動量抜群。原作を読んでいるせいか、話のつながりを悪く感じるところもあるが、夏の海が美しく、夏の島でのカムイと追忍たちとの戦いは力感充分。
晴れ。
新聞の第一面は「鳩山内閣きょう発足」の見出し。
晴れそうな感じ。
曇り。風はあるようだ。
選挙に行ってきた。7時台に行ったが、人がいつもより多いということはなかった。
選挙でどこに投票するか大体固まった。今度はかなりまじめに考えた。自分の頭と心がこれでいいだろうと思うところまで時間をかけた。自分の利害にとってはどうなんだということも考えた。こういうことを考えたのは初めてだった。とにかくいい頭と心のトレーニングになった。
曇りだが夏はいろいろな雲のかたちを楽しむことができる。
『海辺のカフカ』を読み、テレビを見、グレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』を聴く。くり返し聴く気になるクラシックははじめてだ。
曇った空にも晴れた空にも合う曲だと思う。考えずに聴いていればいい。
たぶん弾いているグレン・グールドは喜びを感じている。その感情が基底にずっとある。緊張したグレン・グールドの顔や肩を思い浮かべるときもあるが、しかし軽やかだ。緊張した二つの硬い層のあいだにやわらかい層がずっとある。
軽やかというのはいいものだなあと思う。
曇り。
衆議院選挙の投票所入場整理券が送られてきた。どう投票するかだいたい決めていたんだが、昨日から迷いだした。
曇り。
今年は夏バテになりそうで、ならずにきた。このままいきたい。
御岳渓谷(みたけけいこく)に行って、渓流を歩いてきた。遊歩道が造られて観光ウォーキングコースというところもあるが、渓谷であり、渓流だった。

御岳渓谷遊歩道の入り口
流れがけっこう速い
渓谷という感じ
美しい所がいっぱいあった
何かなつかしいような風景
これもなつかしいような道
道もそろそろ終わりだ
夏の空。
チケットを買いに行く、迷ったが、たまにはミュージカルもいいだろうと思って買った。建物を出たとき、前に観に行ったのもミュージカルだと思い出したが、まあいいだろう。
吉祥寺に行って、昼食に中華そばと唐揚げを食べる。妙な取り合わせだと思ったが、これを食べたかった。
ブック・オフに行って、グレン・グールドの『ゴールドベルク変奏曲』を買う。2450円、CDそのものは傷つかないようにちゃんと別の所に保管してあった。それから本売り場に行って、文庫本4冊、810円を買った。
むし暑い日だった。割合、いろんな場所に行ったが、うつくしいと思ったのは駅のうえの空だけだった。
『サマーウォーズ』を観た。
新しい感じのアニメ映画。新しくもあり凡庸でもあるアニメ映画。
ハッとするほど美しい夏の場面があった。時代にたいする新しい見方を感じさせるアニメ映画だが、反面、人間にたいする見方は新しくはなく類型的だった。爽快感といえるほどのものは最後までこなかった。時代は秩序を求めているのだろうかと、観ていて、ふと思った。
夏のうつくしい空をみることができると思っていたら、曇りだった。
テレビでピアニストのグレン・グールドの番組をやっていて、とても変わった人だった。白黒の映像と彼の弾く「ゴールドベルク変奏曲」が心に残った。
台風はまだこない。
いつか座ってみたいベンチ。
散歩の途中でみつけた「夏の木」。
ぼくの好きなベンチ。
細かい雨が降っている。
晴れ。
完全な曇り。
散歩した道。
夏の木を見る。
都議会議員選挙に行ってきた。
社会とのつながり感が欲しくて、あるいは社会への帰属感が欲しくて、ある時期から猛烈に、必ず、すべての選挙に投票してきたが、その「心の時期」もひとサイクル終わったように感じる。
散歩した道。
暑くなって、ようやく夏らしくなった。
5月5日に浅草に行った。
落語を聞くために浅草に行ったのだが、向う途中の雷門のカラフルな色彩に引き寄せられて、そのまま仲見世通りを歩く。人がいっぱい。ゆっくりゆっくり歩く。浅草寺にお参りし「天国か極楽かに居る、母がのんびりと暮すことができるように。」、また血縁の人たちとその家族への加護を願った。
境内で持っていったサンドイッチとせんべいの昼飯をパクつき、落語をやる会場へと向かう。
この机で詩を書いている。いまは散文のほうに関心が過半むいているけれど、長いこと詩を書かずにいると不安感のようなものにかられて、この机にむかう。
写真はおととい撮ったもの。道を歩いていて木と葉のみずみずしさに思わず足がとまった。
写真にとらえることはできなかったが、日の光が葉と葉のあいだに溜まってゆれているようで美しかった。
整体へ行った。春になってみんなの体の動きがよくなったと感じた。
写真は自宅で履いている足袋。
晴れた空を撮れると思っていたら、曇りだった。
今、お気に入りはイーグルスの「I Can’t Tell You Why」。ユーチューブでいちばん新しいライブ版のを聴いている。
山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)を読んでいる。
藤沢周平にくらべて硬質でムダのない文章。好みでは藤沢周平のほうだが、山本周五郎も喫茶店で読める作家だと思う。
山本周五郎は句読点の打ち方が特異というか独特だ。それから三船敏郎は赤ひげ役にぴったりの役者だったんだなあと読んでいて何度も思った。
『おくりびと』を観た。佳品というべきか、秀作というべきか。
笑ったり、涙ぐんだり。死顔アレルギーもすこし治ったように思う。これほど騒がれる前だったら、がんばって何か書こうと思っただろうが、ただ享受するのみ。いい休みの日の時間をすごすことができた。
朝の桜を撮ってきた。まだ全然開花していない木もある。
晴れ。よい天気。
今日は整体に行った。ストレスが抜けた。
晩飯はステーキにする。
写真は整体でつかう足袋。
曇り。
桜が開花しだした木がみえる。
朝は納豆ご飯。これから洗濯をする。
曇り。寒い。
24日のWBC、日本対韓国戦、たまたま仕事が休みで観ることができたが、すごい試合だった。野球を観てあれほど興奮したことは久しくなかった。
曇り。雲が多い。
日曜日にいつも読んでいる石田衣良の新聞連載小説『チッチと子』が来週で終わるらしい。残念。
晴れ。快晴。
今年は花粉に苦しんでいるが、やっとふつうに近い睡眠をとることができるようになった。このままいって欲しいものだ。
寝るときは相変わらず鼻がつまり気味だが、あお向けで、口をあけて寝るという姿勢がある程度はできるようになったんだろうと思う。
日中、マスクをするようにしているのも、どれだけの効果があるのか分からないのだが、少しはプラスになっているはずだ。
今日は野口整体の松本純子先生の指導を受けにいった。
整体の半ば以降は「生きものとしてのオーラ」を意識しようと努めておこなった。
ぼくは初級者クラスというところなので(中級者ではない)、先輩たちについてやるわけだが(どういう言い方をすればいいのか、難しい)、体は充実した。
深く、いい睡眠こそ、人間の生命活動の基本ではないかと思わずにはいられない。深くいい睡眠をとっているかぎり、人間ってそうへばるもんじゃないし、つよい打撃をうけたとしても、やがて回復していくことができるんじゃないかと思う。
問題になるのは、深くいい睡眠が、もう工夫しなければ手にはいらないものになっていることだと思う。ぼくにとっても、ほかの多くの人にとっても。
いま深くいい睡眠をとっていなかったことに気づいてリアルに思っているけれど、いずれ忘れてしまうだろう。深くいい睡眠を取るためのいくつかの工夫、寝る姿勢とかそういったものを習慣化させていくしかなさそうだ。
曇り。
相変わらず鼻がつまるが、寝るとき、なるべくあお向けに寝ることを心がけ、ぼくは左の鼻がつまりやすいので、体の左側を下にしないようにしている(体の左側を下にして寝た場合、完全に左の鼻がつまり、右の鼻だけで息をする状態になることに気づいた)。そうすると息苦しさで、夜中に目がさめるということはある程度防げるようだ。
晴れ。花粉の季節だ。くしゃみ連発で鼻がつまる。
朝は納豆ご飯。洗濯をする。
曇り。いちめんの雲。
朝は納豆ご飯。
『現代詩図鑑』(ダニエル社)2009年冬号に「帰り」という詩を書きました。『現代詩図鑑』を手に取られる方、読んでみて下さい。
曇り。厚い雲がみえる。
今、お気に入りはガンズ・アンド・ローゼズ。ユーチューブでよく見ている。昼間はみないが、夜、風呂にはいった後、そろそろ寝る準備をしなきゃな、という時間帯になると見たくなる。
ビデオ版の「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」と「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」がいい。それとボーカルの人は若い時はカリスマ的な人だったと思うが、今、年をとって腹が出てきたけど、まったく気にせず、「委細構わず」といった感じで、昔のままやっているのが、すごい。
きのう、みつこおばさんが103歳で大往生したという知らせがあった。どういう血縁だったか、聞いたが忘れてしまった。ただ103歳という年齢は、本人も、まわりも納得できる「数字」といえるだろう。感傷的にはならず、ただ「なじみの人だなあ」と思い出した。
子供の頃の、夏の田舎の家に「ちょっと休ませてもらうで」とか言ってやって来て、首に巻いた手ぬぐいで顔をふいている。その仕草と顔を思い出した。みつこおばさんは、日に焼けた顔と手足の、がっしりとした骨組の、気さくな人だった。たいてい祖母と短い話をして、すぐ出ていったと思う。
今朝、布団のなかで、目がさめる前にこの場面が浮かんできた。さっき風呂にはいっているときも、この場面を鮮やかに思い出した。記しておこうと思う。
合掌。
まだ、空は明けきっていないが、雨がふっている模様。
1月21日の毎日新聞の夕刊にオバマ大統領の就任式について、「前夜祭の方が盛り上がったフェスティバル。」「200万人の高揚感がオバマ氏の就任演説を境に明らかに変わったように見えたからだ。」「人々が気勢を上げるきっかけをつかめず、戸惑うのは当然だろう。」という記述があった。これは本当だろうと思う。しかし新聞に載っていた就任演説(全文)を読んで、いい演説だと思った。テレビの報道ステーションで比較的長く、オバマ大統領の演説をながしていたが、やはりいい演説だと思った。
演説にはいくつかのポイントがあると思う。それを読んで、すくなくともオバマ大統領がそのことに関しては、いい方向にもっていくだろう、もっていこうと努力するだろうと思えて、ほっとした。この演説を読んだ限りでは、わるい方向にはむかっていないように思う。
曇り。
オバマ次期大統領のニュースを見る。
快晴。よく晴れている。
買い物に行き、洗濯をする。
快晴。よく晴れている。
きのう、おとといの寒さはこたえた。今朝もさむい。
晴れている。快晴。天気のいい日がつづく。
朝は納豆ご飯。
テレビを見る。
母の墓参りをして帰って来た。
田舎の空気は澄んでいた。
快晴。よく晴れている。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
2009年 元旦
快晴。雲ひとつない。
今年もいろいろあったように思うけど、大みそかになりました。
今年は心をじぶんの望む方向にすこし強くすることができたと思います。
去年まではできないことでした。
来年もこの方向に進みたいと思っています。
いろいろな方のお世話になりました。
ありがとうございました。
よい年をお迎えください。
『荒地の恋』を読み終わって、古い友人が付けたままにしている書店のカバーを取ってみる。
猫がこちらをにらんでいる絵が装丁につかわれている。猫つながりか、とわかる。
古い友人のほうから早川義夫のライブに行きたいという連絡があったのだ。早川義夫の公式サイトには猫の写真がよく載っている。古い友人は長いあいだ飼っていた猫が死んだばかりだった。そして『荒地の恋』の主人公、北村太郎は無類の猫好きとして描かれている。猫の好きな連中が集まったわけだ。
ぼくは猫好きじゃないが、子供の頃の田舎の家には犬も猫も居た。夜寝ていると猫が布団のなかに入ってくる。足に触れるその猫がとても暖かかったことを思い出す。あるとき寝ているぼくがプッとヘをこいた。猫も臭かったんだろうな、すーっと離れていって布団の端に寄ったことも思いだした。
『荒地の恋』最終章「すてきな人生」
『荒地の恋』とは「荒地」の終わりの物語だなと思う。
無茶苦茶な連中があつまっている。しかしこの人たちの詩をぼくは長く愛していた。
北村太郎は検査の結果入院する。不治の病だと宣告される。余命は長くて3年。
退院して若い友人たち、そして娘と食卓を囲む北村太郎の心の動きがよく書けている。ねじめ正一は北村太郎に敬意をもっていると感じる。
ここからは一気に読む。阿子がでてきてほっとする。ページが残り少なくなっているのに出てこないからだ。横浜駅ビルの喫茶店で待ち合わせた北村太郎と阿子はラブホテルに入り、はげしく愛し合う。
北村太郎にとって若い阿子は菩薩のような存在だった(読者にとってもそうだ)。じっさいに存在したのだろうかという気になる。
病気は重くなる。死がちかい。現実の北村太郎が残したような日記のかたちの、日付の入った記述がつづく。ねじめ正一が作っているのだとしたらアイデアもふくめて秀逸だ。
生の晩年を「荒地の恋」に生きた北村太郎は死ぬ。
最後は阿子の独白で終わる。北村太郎とのことが語られる。北村太郎のお別れ会にでた阿子は北村太郎の双子の弟に会う(じっさいに北村太郎には双子の弟がいたのだ)。そこで阿子は言う、
「私、北村さんの恋人だったんです」
双子の弟は、北村太郎の死に際のことなどを阿子におしえたあと、最後にいう
「北村太郎を幸せにしてくれて、ありがとうね」
晴れ。よく晴れている。最高予想温度19℃。
『荒地の恋』を開く。
鮎川信夫が死んだ。鮎川信夫の甥からの連絡をうけた北村太郎は強いショックを受ける。地がまわる。部屋がまわる。空がぐるぐるまわる。
「ひでえもんだ。もう終わりだな」
鮎川信夫は『荒地の恋』の登場人物のなかでもっとも魅力的な人物だった。無償のにおいがする詩人だった。
じぶんの私生活をまったく人に知らせない。どこに住んでいるのか、結婚しているのか、いないのか。子供がいるのかいないのか誰もしらない。
鮎川信夫に連絡をとろうとするときは、住処がわからないので、もう一人の甥の真に連絡をとる。そうすると鮎川信夫から電話がかかってくるのだ。
鮎川信夫が荼毘(だび)にふされる。この場面はいい。読む心がいっしょについていく。北村太郎はかけがえのない友をうしなったのだ。
雨が降りそうな気配だなあと思っていたら、降りだした。
『荒地の恋』を開く。
明子と田村隆一の暮らしはうまくいかない。田村隆一はアル中の治療のため入院し、こころを病んでしまった明子は精神病院に入院する。
入院した明子を北村太郎は見舞う。明子の話を聞いてやるために。北村太郎は明子のことがよくわかるのだ。ふたりは「仲間」なのだ。
北村太郎は阿子の目を気にしながらも見舞いつづける。
阿子という女性は実際にいたんだろうか、と思うがどうなんだろう。
雨。雨が降っている。
『荒地の恋』を開く。
少女は看護婦をやっていた。名は阿子。北村太郎は阿子と長い手紙のやりとりの末、結ばれる。男女の関係になる(こういうことがあるんだなあ、これも実話なんだろうか)。ブコウスキーの『詩人と女たち』を思い出すね。
鮎川信夫から電話がかかってくる。
「あのなあ。中桐が死んだんだよ」
「荒地」の同人だった中桐雅夫が死ぬ。北村太郎はそのことを田村隆一に教える。衣更着信(きさらぎしん)、黒田三郎らの名前がでてくる。荒地の詩人たち。
晴れ。快晴。
マイルス・デイビスの「ソー・ホワット」をとめて、『荒地の恋』を開く。
北村太郎は生活のためカルチャーセンターで詩を教える。そこでこう考える。
「生徒の詩の言葉にはいっさい手を触れないということである。ここをああしたら、こちらをこうしたら、というようなことはいっさい言わない。それで詩が少しよくなったとしても、その詩は厳密には生徒自身のものではなくなってしまうからだ。あるじからはぐれた言葉ほど淋しいものはない、と北村は考えている。そんな詩は糸の切れた凧で、ふわふわと漂った挙げ句どこかへ消えていってしまうのが関の山である。」
これはねじめ正一の考えでもあるだろう。
北村太郎は田村隆一の妻明子との関係が終わったものと考え、いっしょに住んでいた家を出る。アパートの一室を借りる。しかし北村太郎と田村隆一と明子との奇妙な関係はつづく。北村太郎と田村隆一はふるい友人であり、詩の仲間でもあるのだ。
そしてある朗読会ですずやかな眼の少女と出会う。北村太郎はこの少女に強い気持ちのたかぶりを覚える。ええーっと思ったが、次の展開がはじまりそうだ。
雲が多いが晴れそうな気配。しかし天気予報は雨だ。
いい詩を読むとカタルシスがある。元気になる。からだのなかを血が走る。
詩を常に書いているひとの詩は、ある心理状態にすっと入っていって、言葉のつなぎ目がみえないようになっている。今日のいい詩はそうだった。
晴れ。快晴。雲ひとつない。
喫茶店のテーブルに『ドストエフスキイの生活』と『荒地の恋』の2冊を置く。
『ドストエフスキイの生活』のほうがすっきりする。しかし小林秀雄への自信値がゼロちかく落ちているので、『荒地の恋』を読みはじめる。
北村太郎は田村隆一の妻明子と小さなアパートで暮しはじめる。
せまい風景を歩いているような息苦しさから、ごくふつうの風景にすすんだような印象だ。
北村太郎は詩を書く男らしい生活を始める。だがふと立ち寄った本屋で娘の優有子が文芸誌のなかの自分の詩をさがしているところを見てしまう。北村太郎は身体をよじるようにして本屋をでていく。
曇り。寒い一日になりそうだ。最高予想気温は10℃。
『荒地の恋』。そうだなあ、パワーをもらえるかもしれないな。
北村太郎は女房と娘のいる家をすて、恋人の待つアパートへ行くため駅にむかって歩いていく。この場面は開放感がある。開放感がないとパワーをもらうことができない。この恋人というのが荒地同人だった田村隆一の奥さん。話はけっこう暗い。最初のころは泥の中を歩いていくような印象だった。
ノンフィクションの小説。北村太郎も田村隆一も実在の詩人。作者のねじめ正一さんは相当の覚悟で書きだしたんだろうな。
晴れ。しかし雲がふえてきた。
『荒地の恋』。ぼくの知っている詩人たちは、用心深い、とびらを開けることのまずないひとが多いが、この『荒地の恋』にでてくる北村太郎と鮎川信夫の関係はちがう風が吹いている。開放感があっていい。68ページまでを読んだところの感想だが。
雲が多いが晴れそうな空だ。
11月19日(水)の「きのうの新聞2」は削除しました。
午前中に掲載したんですが、夜読み返してみて、充分な文章になっていないと思い、削除しました。
ねじめ正一『荒地の恋』。これまたヘヴィな小説になりそうだな。ねじめ正一の文章はリズムで書く文章じゃないな。おれはこういうのを読んでも元気にならない。これなら何もないほうがいい。古い友人がこの小説を読んで「力」を感じたとしたら、よほど仕事に疲れているということだな。
曇っている。朝方はひんやりするが、最高予想気温は22℃。冷房も暖房もいらない季節。
朝食はバナナと牛乳、チーズ、クッキー、みかん。
雨が降っている。空はいちめんの薄い雲がかかっているようにみえる。
コーヒーを入れる。洗濯しよう。
曇り。いちめんの雲。
小林秀雄を読みだしてから、初めて吉本隆明を相対化することができた。小林秀雄の文庫本の3冊目か4冊目を読んでいるとき、吉本隆明もまた日本の文学の、日本の文芸批評の、ながれの中に組み込めることができる人なのだと考えたときに、長い呪縛が解けたように思う。
吉本隆明は会ったこともない他人なのに、父と母に次いで影響を受けた人だった。こういうことは変なことなのだと思うようになった。人は、人のカラダと心はまちがいなく、ひとりひとり違う。影響を受けるのはいいが、あまりにも長く、大きなものだとすれば、不健康だと考えるべきだ。
吉本隆明の影響をときほぐしたいというのはぼくの生の長いあいだのテーマだった。よしもとばななの小説を読みだしたということのなかには(よしもとばななは吉本隆明の娘である)、吉本隆明の影響をときほぐしたいという「無意識の魂胆」があったかもしれない。
じぶんの考えがどんなに小さなものであれ、俗なものであるとしても、そう思えたとしても、それが軸になり、たたき台になる。それがスタートになるしかない。じぶんの「考え」はオリジナルなものであるしかない。ぼくにはこの部分が欠けていたと思う。
小林秀雄の本を手にしたのはまったくの偶然だった。面白いものだと思う。以前、小林秀雄の本を読んだときは何も感じなかった。いま読んでいるとビンビンくる。すごいと思う。こう読めるには今という時が、これまでの時間というものが必要だったのだ。
きのうの夜、10時頃寝て、5時に起きた。すっきり。
疲れていたようだ。
空はまだ完全に明けていないが、晴れそうだ。
雨が降っている。すっかり早起きになった。
新聞の第一面にでかでかとノーベル賞の記事。テレビでもやっている。
興味がもてない。
きのうの夜、9時半ごろ寝てみたら、そのまま眠ってしまった。今朝4時ごろ目が覚めた。外は真っ暗だった。
空は明けきっていないので、はっきり見えないが、雲はすくないようだ。晴れるだろう。
曇り。空いちめんの雲。秋が近いな。
ポール・ニューマン死去の記事。
『明日に向って撃て!』もよかったが、『暴力脱獄』が強烈だった。あの映画を観た体験は胸の奥にずっと住んでいる。
晴れ。快晴。青い空が広がっている。
布団を干す。
『アキレスと亀』観に行こうかと思ったが、時間があるかどうか。
雨。よく降る。
きのうの夜の「情熱大陸」面白かった。木村大作というカメラマン兼映画監督を取り上げていた。ああいう人を見ると元気がでる。
快晴ではないが、晴れている。
布団を干して、洗濯をする。
テレビ、新聞ともアメリカの証券大手リーマン・ブラザーズの経営破たんの報道がつづいている。
中村剛彦さんに朗読会の出席、欠席の返事を書く。返信用のハガキが付いているのは珍しい。
曇り。雨が降りそうな空だ。
『週刊現代』で江戸木純がショーン・ペン監督の『イントゥ・ザ・ワイルド』を傑作だと書いているのを読んで、観たいと思ったが・・・、今は時間がないな。
きのうの夜、早川義夫のライブを聴きに行った。古い友人と一緒。
亡くなったHONZIの代わりの相棒は鈴木亜紀さん。思っていたより小柄で、元気、硬めでよく伸びる声が魅力的。邪気のない人だと思った。それで早川義夫は相棒に選んだのだろうと思う。
早川義夫は寒色系のミュージシャンだが、きのうの夜は暖色系のミュージシャンだった。3分の2が過ぎたというところで寒色系に移行する。最後の歌は「堕天使ロック」。
それから古い友人と飲み屋に行き、近況報告と昔話。2年前、25年ぶりくらいに再会した。去年また会おうと電話したら彼の母上が亡くなった直後で、それはならなかった。その後愛犬も13歳で死んでしまって、それは家族の喪失そのものだと言っていた。
晴れ。暑くなりそうだ。
『ひょうたん』36号の森ミキエの詩「耳の中の風」をよむ。
晴れ。日がでている。夏も終わりにちかづいたようだ。
須永紀子さんから『雨期』51号が届く。今号は黄色・クリーム系の表紙だ。
雨、夏の暑さのピークもすぎたようで、ホッとする。例年よりも体力の消耗がすくないと思う。エアコンを買ったのがよかった。寝る前はタイマーをかけるようにした。暑さで眠れないということは、ほとんどなかったと思う。
休みも多めに取ることができて助かった。夏休みなしには、夏は乗り切れない、というような季節になってしまった。
長田典子さんの新詩集『翅音』(はねおと・砂子屋書房)をゆっくりと読んでいる。長田典子さんといえば、圧倒的なエネルギーの散文長詩を書く人だけれど、『翅音』の巻頭の詩は行分け詩だ。これはどうしたことだと、「あとがき」を読んだりしている。
You Tube でサイモンとガーファンクルが1981年にセントラル・パークでおこなったコンサートの映像をずっとみている。
ライブ映像を見ていて、アート・ガーファンクルのカリスマ的なオーラにびっくりした。
サイモンとガーファンクルは、作詞・作曲をやっているポール・サイモンのイメージが強くて、ガーファンクルはつまみという感じだったが、ちがう。ライブ映像でみると、アート・ガーファンクルの存在の大きさが分かる。音楽的にもそうだし、その歌、歌い方、身ぶりからオーラがでている。つよい眼差しに、何者なんだろうと思う。
覚えてる。ぼくが最初に買ったシングル・レコードはサイモンとガーファンクルの『ボクサー』。詞がとても好きだった。
晴れ。快晴。
洗濯中。布団を干す。
晴れ。快晴。よく晴れている。
今日は6時に目が覚めた。
暑くなりそうだ。
エアコンを運転すると、室外機からの排水が途切れることなく、出ている。冷房をすると除湿されるからだ。部屋の空気の湿度の高さがわかる。
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