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グレープフルーツをたのんだ。
明け方、寝ていて寒いくらいだった。ようやく秋がきたという感じ。
小ぶりながらも、今年も柿がなった。
超自我の説明よく分かった。
「個別的な精神は、そのままでは普遍的なものとはいえない。普遍的になるには、自分自身を対象とする思考へと高まらねばならないのです。」
思いがけない人から詩集が送られてきて、おどろく。
この人の旧姓を知ったとき、封筒の差出人だったか、そこに書かれてあるクセのある文字を瞬間的に思い出した。
印象的なタイトルだ。
素直な、童話的ともいえる詩が33編。この「型」は最後まで一貫している。歌うように、大きな音をたてずに、しかし声は出る。
詩集をある程度まで読みすすんだ時、この人の生来的な、「現実」との距離はどうなんだろうということに思いが至った。
簡潔で、長くなく、読みやすい33編。ほぼ一気に読んだ。
読みたくなった。
『日本の詩歌』(中公文庫)という本の中に与謝野鉄幹の書いた詩が、「煙草」という詩が載っていて、興味深かった。
いい詩でもあった。
啄木のことを、石川啄木のことを書いているのだ。
啄木の小さな子どもが死んだ時の情景を(生まれて24日とある)、葬式の時の情景を書いていて、与謝野鉄幹の人の良さがでているし、啄木はぼくの好きな歌人であるし、印象深い。
「続堕落論」
「戦争論」
「ヨーロッパ的性格、ニッポン的性格」
が面白かった。
戦後すぐ書いたものには勢いがある。
「命題が偽であることを示すには、それと対立する命題が真であることを示すのではなく、その命題そのものに即して偽なることを示さねばなりません。」
トンボがたくさん飛んでいる。
夏目漱石という作家が好きになった。
間(ま)の滞空時間の長さに惹かれた。惹かれたが、場面によってはそれが辛いこともあった。
切ない場面によわいのだ。
漱石のプロセスでいえば「それから」に向かっていくものを感じる。
「実際、無は思考や表現の対象となるとき、無ではないなにかに転じます。」
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