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思っていたより安かった。
エーリッヒ・フロムの筆は速すぎるが、いっていることは正しい。
「古代の哲学者は詩で表現するのが普通で、散文を書くようになるのはもっと後のことです。」
胃腸の負担を軽くするためにそうめんを買った。
軍事的なことについてひたすら思考停止の道を歩いているのが日本だな。戦う意志がないことを示すことが戦いを避けることにならない相手もいる。
中国の政治体制が目に入っていない。
今まで肩を冷やしてはいけないと、半袖で寝ていたが、
暑さにギブアップした。
長く詩や批評の発表の場としていた『詩的現代』がどうやら終わってしまったようなので、大家正志さんの作っている『space』に参加しました。171号に「日々」という詩を書いています。
面白い!
漱石は光景を描くんだ。光景を描くことによって、小説の方向はおのずと開かれていくというふうだ。
漱石は答えへの道を開こうとしたり、小説を自分の持っていきたい方向へ引っ張ろうというのがまるでみえない。少なくともこの「三四郎」ではそうだ。
フロムでGOだな。
ずっと昔からこの家にある本。
「花筐」は(はながたみ)と読むんだ。
桑原武夫の解説がよかった。
ちゃんと距離がとれて、いいたいこと言っている。
「つまり、思想は共同体の精神として存在し、個々の意識というだけでは非現実的な意識が、一つの集団のなかで現実性を獲得する。」
ヘーゲルでさえ、こう言っている。
栗だと思う。
訳は大畑末吉。
「三がどのようなものかについて、アリストテレスははっきりこう断言しています。完全なもの、ないし、実在するものは、はじまり、中間、おわり、という三つの状態をもって実在する、と。はじまりは単純なものであり、中間はべつなものへの変化、(二、ないし、対立)であり、おわりは統一(精霊)、つまり、べつなものからふたたび自己へと還っていくことだ、というわけです。あらゆる事物は、(α)単純な存在、(β)差異または区別、(γ)両者の統一または変化のなかでの統一、という過程をたどる。この三つの過程を取りのぞいたら、事物の存在はなくなり、たんに頭の中にある抽象物になってしまいます。」
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