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2022年12月14日 (水)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から

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「東洋の精神のうちに、思考による反省や区別の意識が登場し、原理が明確化されようとすると、明確化のためのカテゴリーや観念は実体的なものとうまく統一されない。そのとき、すべての特殊なものが粉砕され、節度のない東洋的崇高さがあらわれるか、もしくは、明確に秩序立てられた観念が認識される場合には、それは無味乾燥で、分別くさく、精神のないもの、思索的な概念を受けとめることのできないものであるか、のいずれかです。この有限なものが真理に到達するには実体のなかに沈潜するほかなく、実体と切り離されているかぎり、みすぼらしさを脱しえない。だから東洋には、無味乾燥な分別知、たんなる概念規定の列挙、古きヴォルフ論理学のごとき論理学しかない。宗教儀式も同様で、礼拝への沈潜、ついで、おそるべき数の式典と行事、そして他方には、すべてが没落するような度はずれの崇高さが、見られます。」

 

 

 

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