« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »
ソルジェニーツィンがプーチンをどう考えていたのか、ずっと気になっている。ひっかかっているというべきか。
文学的思想が政治の現場に近寄って方向感覚を失ったのか。しかしソルジェニーツィンは『収容所群島』を書いた人だから、政治に対して無防備ということはなかっただろう。
プーチンとどういう関わり方をしたんだろう。
どう考えていたんだろう。
「プーチンのロシア」に近代社会を越える、越えうる可能性を、その出口のようなものをみたんだろうか。あるいはあえてみたかったのか。
ウクライナのゼレンスキーたちは文化的衝撃でもあった。
こっちは「生き延びる」ことが唯一の共通の価値であるような、というかあえて共通している行動の基準をみつけようとしたらそれ以外にないような世界に生きていたから。
次の時代が始まっている。
そのように世界は動くだろう。
プーチンで驚くのは嘘を、まったくの嘘を本当のように堂々と話すことだ。徹底的に。まるで世界を創造するように嘘をつく。
聞いていると納得させられてしまう。言葉だけ聞いているとそうなるのだ。
これが、この逆立ちした世界がソ連の世界だったのだと思う。そういう社会があったのだ。
滅びたようにみえたが、プーチンはその世界をずっと生きていたのだろう。
最近のコメント