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ウクライナの人たちの戦いには正直感銘を受けた。
大義は我々にあるということ。向こうが攻めてきたということ。我々は守っているのだ、国と自分たちを守るための戦いだってことがあるだろうな。あそこまで踏んばれるのは。
それとソ連時代のことを覚えているから、あの連中に支配されるとただじゃ済まないということがわかっているんだろう。
プーチンはいまもソ連時代を生きている人間だからな。
ロシアとウクライナの戦いは、プーチン率いる全体主義的な国家ロシアが民主主義のウクライナを飲みこもうとして仕掛けた侵略戦争なんだ。善悪ははっきりしている。
ウクライナが善で、ロシアが悪なのだ。それをはっきりいわない人がいるのに驚く。
花粉が舞っている。
ウクライナには善なる人がいるみたいだ。
動きが変わってきた。いつ行っても客はぼくひとりだった床屋に客がたまるようになってきた。ながめても誰も歩いていなかったウォーキングの道にひとが歩いているのをみるようになった。
これはコロナ禍の社会になって初めてのことだ。
コロナの社会は変な社会だったし、報道が国民を囲い込み、コントロールしようとする社会だったが、それでも独特の、妙な居心地の良さがあって(公が内にこもれと指示する珍しい時代だった)、名残惜しいような気持ちがあるのだが、このままコロナ禍の社会は終わりに向かって進んでいくんじゃないか。
プーチンがロシアの指導者でなければ、今度のウクライナ侵攻はなかっただろう。
プーチンには「共産党の世界に住んでいた者」の狂気を感じる。
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