ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から
「さて、わたしたちは現実に人間であり、理性をもっている。人間的なもの、理性的なものは、わたしたちのうちに、わたしたちの感情や心情や心のうちに、わたしたちの主観性一般のうちに反響します。この反響、この一定の運動が、内容一般を自分のものにしていく働きです。内容のもつさまざまの概念規定が、この内面に集まり、包まれていき、こうして精神が、内部で、普遍的な骨組みにおいて、ぼんやりと織り出されていきます。そのとき、内容は、単純で抽象的な自己確信や自己意識と直接に一体となっている。しかし、精神は精神である以上、その本質からしてなにかを意識するものです。精神は単純な自己へと閉じこもった状態から、自分を対象とする状態へと移行し、みずからを知らねばなりません。このようにみずからを対象化し、対象として意識するしかたそのもののうちに、先にいう区別が全体として横たわっています。」
« パンを食べる | トップページ | アガサ・クリスティー「スリーピング・マーダー」(訳 綾川梓) »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.29)
- アガサ・クリスティー「死が最後にやってくる」(訳 加島祥造)(2023.05.13)
- 「歩く」(2023.05.12)
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.11)
- 奥野健男「日本文学史 近代から現代へ」読み終わる(2023.05.01)
コメント