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1963年の白黒のフランス映画だが、文句なく面白い。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの共演。監督はアンリ・ベルヌイユという人。
主役の一人は中高年のオヤジ(ジャン・ギャバン)。刑務所から出てきたばかりだが、まるで改心していなくて、すぐに盗みを働こうとする。狙いは大きくて10億フラン。
綿密な計画を立てて、超高級ホテルの賭博場の上がりから大金を盗み出そうとするが、相棒に予定していた男が脱けてしまう。
それで若い27才の男(アラン・ドロン)を実行役に引っ張りこむ。アラン・ドロンがもう一人の主役だ。
フランス映画史に残る映画といえる。観ているうちに夢中になった。
アラン・ドロンは『太陽がいっぱい』、『冒険者たち』と強い印象を残す映画に出ているが、代表作はこれだろう。
ぴったりなのだ。
じつに身体の動きがいい。これだけアクションができて演技もできるという俳優は、フランスではアラン・ドロンだけだったんじゃないか。
下卑た野心もアラン・ドロン自身のものでもあったろうし、ぴったりだ。
前に読んだ『ルポ トランプ王国』が興味深く読めたので、その続きになる「2」も読んでみた。これも読み応えがあった。こっちの方がもっと味わい深い感じだな。
テレビでよく見るトランプの集会で、トランプ大統領とその後ろに支持者たちが立ち並んでいる映像をみると、どうしても詐欺師と魂を抜かれた人たちという印象を持ってしまうけれど、この『ルポ トランプ王国2』を読むと、支持者たちもあの後ろに立っている人たち、あのタイプ一色というわけではないことがわかる。
トランプ大統領の存在は国にではなく自分への忠誠を求め、自分に忠誠を果たす者たちだけに見返りを与えるという在り方は、アメリカの民主主義の、政治機構の危機をもたらすと思うが、その政策そのものは人物のようにメチャクチャというわけではない。オバマ時代よりも本当の意味でまっとうな政策もあると思う。
それとトランプがこれほど嫌われるのは、アメリカの、世界の、民主主義プラス資本主義の国々の共通のシステムにおける障害物のような存在になっていることもあると思う。
オバマ時代にしても、オバマ大統領は政治家にしては善良な人だったと思うが、だとしてもひたすら政府が個人を、思想を、社会を、家族を、法によって、「善なる思想」によって管理するという超管理主義社会の方向へと突き進んでいたことは確かだから、当のドナルド・トランプ自身はそんな気はないわけだけれど、そのスマートな超管理主義社会への展開の障害物となっていて、結果として<トランプ大統領>というのは奇妙に面白い存在でもあるのだ。
詩集。小説を書き出してから、詩の世界にうまく戻れないという体験があって、それでいかにも詩らしい詩を、韻文詩を読みたかった。
それで贈ってもらっているけれども、読めないでいる詩集の中から、それらしい詩集を選んで、読み出した。
堤美代さんの詩集は前に『草の耳』という詩集を読んだことがある。最初はこれは短歌なのだろうか、詩なのだろうかと思った詩集だ。1行詩で、1ページに1行という作りだった。それで堤美代さんの詩集ならまちがいないだろうと思った。
26編。
言い切りもあり、断定もある。
こういう詩を読みたかった。
詩集の中ほどに続けてある三編がいい。
「遠北(とおきた)の金ちゃん」、「言葉より先に」、「空の畑」。
ほかには「薄荷水」、「留守」もいい。
堤美代さんは1939年生まれとある。そうすると今年81才になるのか。ずいぶん元気だ。
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