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地元のライブハウスに下田逸郎がやって来るというので行くことにした。
夜の8時からの始まりというのに腰がひけたが。
というのは今のぼくの生活のリズムというか、展開の仕方だと、夜の8時というのは、睡眠の方へ、関心が移行する時間なのだ。
8時30分から風呂にお湯を入れ始め、風呂の中で指ツボ押しをやりながら入浴し、風呂からでた後、ひと息入れたあと、一時間ほど整体やヨガをやっているうちに、睡魔に襲われる、というか、襲われるように持っていっている生活なのだ。
だからこの生活の展開を崩されるのはいやだとおもったが・・・、行くことにした。
下田逸郎の「踊り子」や「セクシィ」という歌が気に入って、一時ユーチューブでよく聴いていたということがあるし、1980年代だとおもうが、夜の民放のテレビ番組で、下田逸郎の「ひとり音楽旅」とでもいうものを取り上げていて、つよく印象に残っていたからだ。
そこでは下田逸郎は自転車で田舎を、地方をまわりながら、神社や村の公民館で歌いながら生活をしているというふうだった。
生江ナントカというフリーのジャーナリストが取材した企画だったとおもうが、その生江ナントカが「政治の季節にラブソングばっかり歌っている軟弱な奴だとおもっていたが、じつは下田逸郎がいちばん腰がすわっていたんじゃないかと思えて、考えこんでしまった」というようなことをしゃべったのだ。
ぼくもそう思えたのだ。番組を見ていて同じようなことをおもったのだ。下田逸郎というのはこんなに芯のある人間だったのかとおもった。
その番組はその頃よく見ていて、生江ナントカという人のいうことにはときに反発する気持ちをもつこともあったのだが、このときはたしかにそうだとおもったのだ。
ということで、地元のライブハウスに出かけた。
下田逸郎は艶あるセクシーな声で歌う。
マイクなしでギター1本で歌う。
眼光するどいのは店内が薄暗くて譜面がみえにくいためか、もともとそうなのか。たぶんこういう目をした人なんだろう。
近くに座っていたので、独特の声の伸ばし方をするときの身体の使い方がよく分かった。
昭和23年生まれで、受験戦争がニュースになりだした頃なんだろうか、じぶんはあの列の中には、あの受験戦争の列の中だけには入りたくないとおもった。それが始まりだった。それだけだった。
それがここまできた。
それがいまの生活にまで続いているのだというようなことをいった。
俳優の六角精児と映画を作っている。ほぼ完成した。配給はむずかしいけれど、配信はできるとおもうから、よかったら観てくれともいっていた。
その映画のなかで使う歌も歌ってくれたが、ファンタジックな歌で下田逸郎はしっかり虚構した歌も作れるひとなんだなとおもった。
そして結構、生活歌を歌うのだ。意外だった。セクシーな声で生活の歌を歌うからなんか変なバランスだったけれど、だんだんと下田逸郎はどういう人なんだろうかというところへ関心が移っていった。
譜面に当たるライトが弱すぎて,譜面がよくみえないためか、年をとって下田逸郎のなかの物語がゆるむところがでてきたためか、ライブ中、スムーズにいかないところもあったが、下田逸郎自身がそういうことを、そういうのも仕方ないじゃないかと受けいれているようにみえたし、観ているぼくもそういうのも有りだろうなと思いながら観ていたのだ。
下田逸郎は1時間半くらい歌った。
下田逸郎は歌うことをやめられない人だとおもった。肚のすわっている人だとも思った。
そんな夜を帰って行った。
てっきり歌集だと思って、開かないままにしていたが、ある詩誌の詩集評のページを読んでいたら、この堤美代さんの『草の耳』が取り上げられていて、歌集だとおもって読んでいたら、「あとがき」に詩集とあったので、これは著者は詩のつもりで書いていたのだろうというようなことが書かれてあったので、あわてて読んでみた次第だ。
読み出すと速い。速く読める。1ページ1行だ。
これはやはり「歌」だな。歌として読める。
堤美代は詩として書いているのか。「あとがき」にはたしかに「詩集」とあった。一行詩か。
かなり実験的な試みだな。
しかし「歌」として読める。一行歌か。
五-七-五-七-七の歌や五-七-五にちかい歌もあるが、ほとんどの<短歌>や<俳句>がオーバーランしている。自由歌あるいは一行詩と取るべきか。
気に入った「歌」を、ルビが付いているものと同じ漢字が見つけられなかったものを除いてならべてみる。
籾蒔かぬ百姓の庭の蟻地獄
風草はかりそめの柩黒揚羽
風草よ野苺のなかの祖母よ縄文よ
雁渡る。馬の首あり。回転木馬
佐渡の舟橋。芒渡して自転車渡す
断罪の何ぞ蜥蜴の尾っぽ半分
風草から風がこぼれる両手で掬う
籾播かぬ六月の三十日の長きこと
麦は青。かなしみうたがいひもなく伸びて
君亡くて花の世しゃぼん玉売りばかりなり
風の盆笠目深かにして巫女となる
銀座三丁目墨染めの僧に礼拝する
過去生も現世も白し喉仏
「あとがき」からも印象にのこったところを書いておこう。
「言葉で詩を書くということは、じぶんの内奥に潜む、まだ、見知らぬじぶんとの闘いの姿とこころの記憶を認識することでありました。これらの詩行と対面することは、私の内なる暗黒と光とに向き合うことでもありました。」
これで満開のようだ。
ソメイヨシノではない。
このごろ時々聴いている。
新しい元号が「令和」と決まった。
イデオロギー的なものがこめられていないようなので、ホッとした。
元号はどうでも使わなければならないようになっているからだ。公的な書類はたいてい元号が印刷されていて、そのあとに何年かということを記入者が書き込むようになっている。テレビ、新聞でも日常的に元号が使われる。いやでも染みこまされるのだ。
元号の発表の後につづいた安倍首相の会見をみていてもやはりイデオロギー的なものはこめられていないという印象だった。
政治的なイデオロギーがこめられていた場合、元号を使うたびに不快なおもいをさせられるし、それに慣れて順化させられるのもいやだった。
ホッとしたというのがこの新しい元号が決まった日の思いだ。
しかし元号が決まるまでのプロセスはもっと公開されるべきだと思う。元号が神秘化される要素はなるべく無くした方がいい。
「令和」という言葉はだれが考えたのか、候補は他にどんなものがあったのか、なるべく具体的に明らかにしていったほうがいい。そうも思った。
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