片山洋次郎「骨盤にきく」
片山洋次郎さんの『骨盤にきく』を読みかえしている。知ることはそれだけで力になる。
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片山洋次郎さんの『骨盤にきく』を読みかえしている。知ることはそれだけで力になる。
啄木の歌はいいな。「我を愛する歌」を読んでいるけれども、なんか惹かれる。動いている煙のようで、つかもうとすると消えていく。軽さというか、発光してはきえていく命のようで。
*ココログのブログを使っているんだけれど、3月19日に全面リニューアルをやって、そのあと完全な復旧になっていないようです。
しばらくの間あんまりスムーズな投稿ができないかもしれないけれど、よろしく。
パゾリーニは真面目だった。こんなにリアルなキリスト伝映画は観たことがない。
白黒の1964年の映画。この映画を作ったときピエル・パオロ・パゾリーニは神そのものの存在を前提として認めていたんだろう。本当に神を、キリストの存在を信じていたんだろう。
神がいるかどうか、キリストはいたのかどうかという葛藤はまだ始まっていないとおもう。
パゾリーニの真摯さにおどろく。後年のスキャンダラスな事件はいったい何なんだろう。
おそらくパゾリーニはずっと真面目だったのだ。まじめに彷徨していたのだ。世間と上手く握手することができなかった人じゃないか。あるいはしなかった人なのだ。
生きて映画を作っていて欲しかった。
パゾリーニの眼に、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代はどう映ったのだろうとおもう。
唯物史観の者や進歩主義者は時代や人間の変貌を、社会の変わり方を、当然のこととして、まるで前提のように考えてしまう。だからその目は、人間や社会の動きを最後まで追わず、途中から眼を放してしまうのだ。
パゾリーニはそうじゃなかっただろう。パゾリーニの眼は1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の人間や社会の動きをどう見ただろう。それを知りたいとおもう。
ぼくの好きな花といったらアジサイとサクラしかない。中学生の時だったとおもうが内藤洋子主演で『あじさいの歌』というテレビドラマをやっていて、内藤洋子のファンになり、アジサイも好きになったのだ。
青いアジサイが欲しかったが、なかったのでピンクにした。
ジャガイモの種イモを並べる。男爵イモだ。
マッサージもバカにできないなと思った一冊。
『季刊詩的現代』28号ができました(3月7日発行)。
ぼくは「柿の木をどう切るか」という詩を書いています。
28号の特集は<詩の中の鉄道>です。
東日本大震災から8年が経つ。あの日のことは覚えている。
ぼくは東京にいて、働いている最中だった。
地下の機械室にいた。
目の前の大きな分厚いコンクリートの柱に取り付けている大きな時計があり、その下の方には工具を並べて吊していた。その工具が揺れだしたのだ。
長く長く揺れていた。いつもの地震とはちがうことに気づいた。時計の針はとまった。
あの大震災で亡くなった人、残された人のことが、その心に、今まででいちばんちかづく。
川沿いにある散歩道に咲いていた。
面白かった。『八つ墓村』、『獄門島』と読んできたが、これが一番面白い。
市川崑の撮った映画版よりも面白い。
いまの時代の推理小説とは単純に比較はできないんだろうが、横溝正史は格別だ。文章の力がまるでちがう。
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