ビートルズ「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」から
弟からビートルズの全アルバムをもらって聴いている。時間順ではなく、手に取ったものから聴いている。
初期のロックンロールがいい。弾んでくる。何度でも聴ける。中期になるのかストレートなロックもいい。しかしビートルズの最高傑作ということになっている『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が意外によくないのだ。ぼくもこれがビートルズのなかでは一番だとおもっていた。
どうしてだろうと考えた。これはぼくらが、ビートルズが、時代が、「高度さへの志向」のなかにいたためだろうと考えた。
『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は手の込んだ、複雑な、重層的な作りのアルバムだ。これまでとはちがっていた。
長い間、時代は、人間は「高度さへの志向」のなかにいた。いつからそれは始まったんだろう。近代からか。ヘーゲルはそのなかにいたし、マルクスもいた。吉本隆明もいた。レーニンも田中角栄もそのなかにいた。1967年に出た『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』もそのなかにあったのだ。
だからぼくらはビートルズのこれまでで一番複雑そうな、「層」というものを感じさせる『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を最高のものとして受け入れたのだ。
そしてその「高度さへの志向」の時は、おそらく日本では1970年代後半に終わった。アメリカではもうちょっと前に終わっていただろう。
そうして2019年2月のある曇った日の午前に『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を聴くと、こういう印象になってしまうのだ。
あれからぼくらはどういう方向に向かっているのか、逆の方向、「低度さへの志向」へ向かっているのか。いったいどこへ向かって歩いているのだろう。
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