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2019年1月12日 (土)

「月」を買う 2

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 辺見庸の小説『月』を買う。1836円。期待するところ大。

 
 詩的な文体だ。

 読むのにスタミナがいるが、詩とちがって小説は、とくに長編小説は<読み落とし>があっても大丈夫だろうから、その分楽だ。

 辺見庸は吉本隆明にくらべると自分にちかい世代なんだなと感じる。装幀へのこだわりなんかにそれを感じる。

 読むのがつらい小説だ。

 「6」の終わり頃から面白くなってきた。

 無意識に、現実の人間の原形に、とどこうとする言葉の群れというところか。

 「15」まできた。

 「15」は面白かった。

 辺見庸は現実社会では強者だったのかもしれない。「16」を読んで、そう思う。

 辺見庸においては<共産主義>がまだ神格化されている。「17」を読んでそう思う。世代的な刻印を感じる。

 ここは面白い。「18」から。

 「からだというのは、ほんとうは、ことばをはねつける。ことばをどこか深い奥のところでこばむ。からだとことばが一体のものだとかんがえているひとがいるとしたら、よっぽどおめでたいひとだ。」


 『月』ほど辺見庸が<じぶんの姿>をみせている本はないんじゃないか。評論やエッセイはかなり読んできたが、小説はあんまり読んでない。しかしそう思う。


 「22」の流れるような描写はいい。ビルの屋上から飛び降りようとしている米国人の話。

 「突端の声」だな。「24」を読んで、そう思う。強烈な小説だな。小説だとやはり伝わりやすいものがある。


 「25」は面白い。面白いが、哲学は怖いとも思う。閉じた世界だけのことかもしれないから。


 『月』を読んできて、辺見庸がどんなふうに生きてきたかみえたように思う。辺見庸のような人間にとってはおれのような人間、「いい人」はたぶん、過渡的な資質とみえるのだ。


 哲学的独白でもあるな。「33」を読んで、そう思う。


 『月』、読み終わる。ヘビーな小説だった。

 
 全体的なかたちの批評をいうのはむずかしい。人間と社会の原形、原質に迫ろうとする言葉のうごめきを感じた。

 介護の現場にはたしかにこういうドロドロとしたものがあるだろう。言ってしまえばどんな人間関係にもこういったものの影は読みとることができるだろう。


 インターネットに書かれるもので、面白いのは辺見庸と藤原新也だった。しかし藤原新也は有料サイトの中にいて、誰でも読めるようにはなっていない(少しはサービスで読めるようになっているが)。

 辺見庸にはこれからも期待したいけれども、体調的にむずかしそうだ。何時までだろうという思いはする。思想と行為において辺見庸の空いた席を埋められる者はいないだろう。特異な単独の歩行者だ。かなり変わった人だ。教典をもっている思想者ではなく、時代的な身体的な知的な思想者だ。


 吉本隆明は40年以上読んでもよく分からなかった。そう言うべきだ。しかし辺見庸と藤原新也は3、4年読めば分かった。それはありがたかった。


 吉本隆明亡き後、辺見庸と藤原新也ぐらいしかいない。あとは芹沢俊介くらいか。思想・言論空間は徐々に狭くなってきている。








 

 


 
 




 

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