吉本隆明「老いの流儀」
吉本隆明はすぐれた思想者で、匹敵する存在としては、日本では小林秀雄しか思い浮かばない。しかし吉本隆明は読者を自分の土俵に引っぱりあげて語るかたちの表現者であって、読む者がじぶんの独自のものをつくりだすのが難しい思想者でもある。
小林秀雄や辺見庸、藤原新也だったら読んでいくうちに、続けて読みつづけていくうちに、自然と<おれは、><おれなら、><おれだったら、>というのが出てくる。浮かんでくる。吉本隆明にはそれがないのだ。
というわけで吉本隆明のものはもう読むまいとおもっていたのだが、図書館に置いてある本があまりにもつまらないものが多く、つい手が出てしまったのだ。
読みはじめるとやっぱり吉本隆明のものは品格があるなとおもう。圧倒的な構えの良さというものがある。
『老いの流儀』のなかでとくに良いとおもったのが、はじめの方にある「心身が絡まった老人の不自由」のところで、老いた人間の病というものは、身体の方からのアプローチだけでは不充分で、心の方からのアプローチも必要なんだというものだ。
年をとって病むと、心の状態と身体の状態がくっついたようになる、「心身の絡まった分離できない状態」なのだという見方、とらえ方にはハッとする思いで、感心した。
吉本隆明自身が老いて、病んでいる状態であることを思えば、よく老人の病というものを対象化、客観化できているなとおもった。なかなかできることじゃない。
「老人の身体の不自由さは、精神のほうから治していっても、身体のリハビリから治療していっても同じなんです。要するに心身の両方が絡まって分離できない状態なんですよ。」
「気分的に改善されると、体も改善する。逆に身体が改善されると、気分も改善する。」
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