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2019年1月

2019年1月27日 (日)

吉本隆明「老いの流儀」

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 吉本隆明はすぐれた思想者で、匹敵する存在としては、日本では小林秀雄しか思い浮かばない。しかし吉本隆明は読者を自分の土俵に引っぱりあげて語るかたちの表現者であって、読む者がじぶんの独自のものをつくりだすのが難しい思想者でもある。

 小林秀雄や辺見庸、藤原新也だったら読んでいくうちに、続けて読みつづけていくうちに、自然と<おれは、><おれなら、><おれだったら、>というのが出てくる。浮かんでくる。吉本隆明にはそれがないのだ。

 というわけで吉本隆明のものはもう読むまいとおもっていたのだが、図書館に置いてある本があまりにもつまらないものが多く、つい手が出てしまったのだ。

 読みはじめるとやっぱり吉本隆明のものは品格があるなとおもう。圧倒的な構えの良さというものがある。

 『老いの流儀』のなかでとくに良いとおもったのが、はじめの方にある「心身が絡まった老人の不自由」のところで、老いた人間の病というものは、身体の方からのアプローチだけでは不充分で、心の方からのアプローチも必要なんだというものだ。

 年をとって病むと、心の状態と身体の状態がくっついたようになる、「心身の絡まった分離できない状態」なのだという見方、とらえ方にはハッとする思いで、感心した。

 吉本隆明自身が老いて、病んでいる状態であることを思えば、よく老人の病というものを対象化、客観化できているなとおもった。なかなかできることじゃない。

 「老人の身体の不自由さは、精神のほうから治していっても、身体のリハビリから治療していっても同じなんです。要するに心身の両方が絡まって分離できない状態なんですよ。」

 「気分的に改善されると、体も改善する。逆に身体が改善されると、気分も改善する。」




 

2019年1月26日 (土)

花の実

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2019年1月25日 (金)

風景

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2019年1月24日 (木)

空と

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2019年1月23日 (水)

鳥居

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2019年1月22日 (火)

松尾弌之(かずゆき)「共和党と民主党」

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 図書館でアメリカについての本を探していろいろと読んでいくと、反米本やアメリカについて調べた、考えたというのじゃなく最初からアメリカに偏見を持っているとしか思えない本がやたら多いことに気づく。どうしてこんなことになっているのだろう。

 松尾弌之という人の書いたこの『共和党と民主党』という本はごく当たり前のアメリカについての本で、参考になる。基本的で必要なアメリカについての知識が手に入る。しかしこうした本がアメリカについては少ないのだ。貴重なのだ。




 

2019年1月21日 (月)

暖冬か

 朝方、洗濯機を回そうとすると、去年は水道管が凍っていて水が出ないということが度々あったが、今年はまだない。やっぱり暖冬か。

 朝夜は寒くて、暖冬だといわれたりするとこれでかよと思ったが。




 

2019年1月20日 (日)

安田有 詩文集「昭和ガキ伝」

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 いただいたのが去年の9月か10月。読み終わったのが今年の1月11日。のんびりとしたペースながら、延々と読みつづけたのは19編の詩を収めている第一章の「未亡人」が秀逸だったこともあるが、この『昭和ガキ伝』に収められている詩への親近感からである。第六章まであり、全部で57編。57編というのは詩集に収める数としては多すぎるが、読み切るのが苦痛ではなかった。




2019年1月19日 (土)

横溝正史「獄門島」

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 おどろおどろした面白い推理小説だった。

 冒頭から、郷里笠岡の名がでてくる。プロフィールをみると神戸の生まれなのにどうして岡山県を舞台にした小説が多いのだろうと思ったが、戦争中に岡山に疎開していたらしい。

 いまは薄れてきたが岡山は日本的な風景の、日本の平均的な風景の、しかし湿りを帯びた暗さがあるところで、戦時中は濃くそうだったろう。横溝正史が構想していた推理小説には格好の舞台だったのだ。




2019年1月12日 (土)

「月」を買う 2

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 辺見庸の小説『月』を買う。1836円。期待するところ大。

 
 詩的な文体だ。

 読むのにスタミナがいるが、詩とちがって小説は、とくに長編小説は<読み落とし>があっても大丈夫だろうから、その分楽だ。

 辺見庸は吉本隆明にくらべると自分にちかい世代なんだなと感じる。装幀へのこだわりなんかにそれを感じる。

 読むのがつらい小説だ。

 「6」の終わり頃から面白くなってきた。

 無意識に、現実の人間の原形に、とどこうとする言葉の群れというところか。

 「15」まできた。

 「15」は面白かった。

 辺見庸は現実社会では強者だったのかもしれない。「16」を読んで、そう思う。

 辺見庸においては<共産主義>がまだ神格化されている。「17」を読んでそう思う。世代的な刻印を感じる。

 ここは面白い。「18」から。

 「からだというのは、ほんとうは、ことばをはねつける。ことばをどこか深い奥のところでこばむ。からだとことばが一体のものだとかんがえているひとがいるとしたら、よっぽどおめでたいひとだ。」


 『月』ほど辺見庸が<じぶんの姿>をみせている本はないんじゃないか。評論やエッセイはかなり読んできたが、小説はあんまり読んでない。しかしそう思う。


 「22」の流れるような描写はいい。ビルの屋上から飛び降りようとしている米国人の話。

 「突端の声」だな。「24」を読んで、そう思う。強烈な小説だな。小説だとやはり伝わりやすいものがある。


 「25」は面白い。面白いが、哲学は怖いとも思う。閉じた世界だけのことかもしれないから。


 『月』を読んできて、辺見庸がどんなふうに生きてきたかみえたように思う。辺見庸のような人間にとってはおれのような人間、「いい人」はたぶん、過渡的な資質とみえるのだ。


 哲学的独白でもあるな。「33」を読んで、そう思う。


 『月』、読み終わる。ヘビーな小説だった。

 
 全体的なかたちの批評をいうのはむずかしい。人間と社会の原形、原質に迫ろうとする言葉のうごめきを感じた。

 介護の現場にはたしかにこういうドロドロとしたものがあるだろう。言ってしまえばどんな人間関係にもこういったものの影は読みとることができるだろう。


 インターネットに書かれるもので、面白いのは辺見庸と藤原新也だった。しかし藤原新也は有料サイトの中にいて、誰でも読めるようにはなっていない(少しはサービスで読めるようになっているが)。

 辺見庸にはこれからも期待したいけれども、体調的にむずかしそうだ。何時までだろうという思いはする。思想と行為において辺見庸の空いた席を埋められる者はいないだろう。特異な単独の歩行者だ。かなり変わった人だ。教典をもっている思想者ではなく、時代的な身体的な知的な思想者だ。


 吉本隆明は40年以上読んでもよく分からなかった。そう言うべきだ。しかし辺見庸と藤原新也は3、4年読めば分かった。それはありがたかった。


 吉本隆明亡き後、辺見庸と藤原新也ぐらいしかいない。あとは芹沢俊介くらいか。思想・言論空間は徐々に狭くなってきている。








 

 


 
 




 

2019年1月11日 (金)

風景

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2019年1月10日 (木)

ベンチ

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2019年1月 9日 (水)

風景

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2019年1月 8日 (火)

風景

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2019年1月 7日 (月)

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2019年1月 6日 (日)

草の世界

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2019年1月 5日 (土)

柿と空

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2019年1月 4日 (金)

「ブレード・ランナー ファイナル・カット」

 これはなかなか凄い映画だった。

 いぜん映画館で観たときは、これほどの印象はなかった。

 今回は衛星放送を録画したものを自分の部屋でテレビの大きさの画面で観たのだが、こういう場合もある。

 独特の<冷たさ>のある映画だ。不思議な境界にある映画でもある。『エイリアン』を撮ったリドリー・スコットの世界というべきか。

 記憶にとどめてもいい映画だ。



 

2019年1月 3日 (木)

カボチャを食べる

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 カボチャが好きになった。

 みそ汁に入れて食べるとおいしい。



 

2019年1月 2日 (水)

庭の風景

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2019年1月 1日 (火)

明けましておめでとうございます

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