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庭の柿の木になっていた柿。
思わぬ贈り物だ。
今、ここに実った柿を一日、三個ずつ食べている。
整体師の片山洋次郎さんの説によれば、人間の顔というのは、左側から見るのと、右側から見るのとではだいぶ印象が違うらしい。
つまり顔の右半分と左半分とでは違う印象を与えるもののようだ。
ちょうど吉本隆明の『超「戦争論」』の上下2巻が、そういうふうに吉本隆明の顔を使っていて、上巻の表紙を右半分の顔、下巻の表紙を左半分の顔というふうにしていて、ぼくは片山洋次郎さんの説をおもいだして、そんな目で見てみた。
最初にみた印象をいうと、吉本隆明の右半分の顔を「切ない」、左側半分の顔を「おっとり、ゆったり」とみた。
そんなわけで載っけてみる。
どうだろう。
これは田近伸和(たじか・のぶかず)という人が吉本隆明にインタビューしたものを本にしている。上下2巻。以前この組み合わせでやはり『超「20世紀論」』というのを読んだことがある。これも上下2巻だった。
こんど読んだのはゴルバチョフの「回想録」を読んでいて、それに巻きこまれないようにするためだった。
ソ連共産党書記長だったゴルバチョフの回想録はどこまで本当なんだろう。どこまで受けいれていいのだろうという緊張感のつきまとう本なのだ。
吉本隆明の『超「戦争論」』を並行して読んでいたわけだけれど、こっちの方を先に読み終わってしまったのだ。
『超「戦争論」』を読んでいておもったのは、吉本隆明ってこんなに反米的だったかなということがある。この本の発行は2002年の11月。下巻の「あとがき」に聞き手の田近伸和が長い文章を書いているけれど、それが2002年の9月と記されている。だから2002年の9月には吉本隆明はこれらのことはしゃべり終えているわけだ。
アメリカの同時多発テロから1年。同時多発テロが起こったとき、吉本隆明はアメリカという国にたいしてもっと肯定的だったと思う。1年後、かなり変わっている。もうひとつ吉本隆明にとって東京大空襲がトラウマになってしまっているんじゃないかとおもった。
『超「戦争論」』の下巻を読み終えようとしているとき、引用したいなというところが出てきた。この先日本はどうなるんだろうという気持ちがあることと、戦争ってどうしても暗いイメージがあるからで、印象に残った。
「太平洋戦争中、日本の社会が暗かったというのは、戦後左翼や戦後民主主義者の大ウソであって、戦争中、日本の社会は、非常にスッキリしていたというか、明るくて、ムダがなく、建設的だったんです。ヒトラーのドイツだって、そうですよ。特にヒトラーが組織した親衛隊なんて、一番健康で、健康優良児の集まりみたいなもんだったんですからね。
親衛隊に見られたのは”太陽に向かう健康さ”といいましょうか、親衛隊というのは、みんな肉体的にも頑健であり、健康そのものであって、規律は厳格に守るし、社会奉仕活動なんかもする、考え方もスッキリとしていて健康そのもの、傍(はた)から見たら、こいつら文句の付けようがねえよっていうくらい、大真面目に健康で、建設的だったんです。」
この気温の急激な低下に、身体もとまどっているだろうとおもったが、よく考えてみると、身体はすばやく対応しているようだ。
小便の回数が増えている。これは身体からの暑さによる水分の自然な発散、汗や呼吸による発散が減ったためで、その分、直接的な排出が増えたのだ。
それにしても急激な気候の変わり方だ。ついこの間までというか、三、四日前まで、この夏の終盤をどう乗り切ろうかとおもっていたのに。
これから夏の終盤だなとおもっていたのに、急に寒くなった。
ご飯で、みそ汁を飲むときなんかは、汗をかなりかくから、上半身ハダカになったりしていたが、もうその必要もなくなった。
秋の始まりだ。しかしこのままってことはないだろう。もう一度か、何度かまた暑くなるだろう。
『季刊詩的現代』26号ができました(9月5日発行)。
ぼくは「雨のふる日」という詩を書いています。
26号の特集は<私を映画に連れてってⅡ>です。
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