ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ その5
カントがでてきた。カントといえば埴谷雄高を思いだすな。
「カント哲学の立脚点は、思考がその論理展開を通じて、自己を絶対的かつ具体的なもの、自由なもの、究極のものととらえる、というところにあります。思考は、自己のうちで一切がたがいに浸透しあうと考えます。」
「思考は自己の内部でものごとをあきらかにし、具体的にしていきます。」
「カント哲学の真相は、思考が具体的な内容をもち、自分みずからをあきらかにするものだととらえられる点にあって、」
「そして、道徳的存在たる人間は、自分の内部に道徳法則をもっていて、その原理は意志の自由と自律です。好悪の情にもとづく決定原理は、意志にとって異質な原理であり、そうした原理を目的とする意志は、他律の状態にあるとカントはいう。決定原理がどこか他のところからとられているからです。だが、意志は自由であり、自主的に決定をくだすものです。」
ここはむずかしいところだな。理屈としてはそうだろう。
しかし、今という時代は好悪の時代だからな。人たちは好悪のエネルギーで動いていく力だけはある。あとは「損得勘定」。それ以外はない。それ以外はどう言われようと動かなくなった犬のようなもんなんだ。
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