ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ その7
いよいよ「むすび」だ。『哲学史講義Ⅳ』の「むすび」だ。ⅠからⅣまでつづいた『哲学史講義』そのものの「むすび」だ。
「精神が内面に深くわけいればわけいるほど、対立は大きくなる。精神の深さは、対立や要求の大きさをもとに計ることができる。精神が深まれば深まるほど、外にむかって自分を発見しようとする要求も深まり、外部の精神の広大な領域があらわれます。」
ぼくもさすがに哲学の本を読むのに慣れてきたといえる。この『哲学史講義Ⅳ』を読むのは早かった。ほかにプラトンの全集も第2巻の最後の方までは読んでいたし。
ヘーゲルは「東洋」というものを軽くみていて、「下位の存在」とおもっているのかと思えるところもあって、東洋人であるぼくは「ああ、そうですか」と流すわけにはいかないし、ぼくが軸を置こうとしている「感覚」や「直観」というものも、軽くみられている。
ヘーゲルのからだがもつもの、ヘーゲルの持つもの、知性や理性の方向へすすむのだという強烈な足取りに、それ以外はないという姿勢に、<異常>なものも、感じなくはない。
しかしそういうでこぼこはあるけれど、ヘーゲルから受けとるものは大きいのだ。手ごたえがある。ぼくには必要なものがある。
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