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この人の写真には<私>というものがある。
鮮烈な詩集だ。
緊張感があり、みずみずしい。それはこの詩集の詩を書いている水田安則にとって詩を書くというおこないが、自身にとって意味のあることであり、自らの内面の水路をたどっていく行為であり得ているということを示している。この詩集のみずみずしさはそこからくる。
現実(の汚れ)につながろうとする九編目の詩、「死の淵」はぼくも通ったことのある道で、親近感を持つ。
巻頭の「垂れ下がる屈折の空へまっすぐのびる屈折の樹」から「名前のない樹」までがすごくいい。
特権的にいい。
「時代は変わる」。
ジャケット写真のキャンディス・バーゲン。美しい人だった。
斉藤哲夫の「悩み多き者よ」。好きな歌だった。
アル・クーパーのレコード。
スーパーマーケットの前で待つ犬。
この「ハナノアa」(小林製薬)という鼻うがい用の洗浄器具と洗浄液のセットになっている物、税込みで1000円くらいだったが、洗浄器具がスグレモノだった。簡単な物にみえるが、これはなかなか大したものなのだ。
インド式の鼻洗浄器ネティ・ポットでさんざん苦労した(ぼくは左側の鼻が少し狭くなっていて、乾燥してくると詰まりやすくなってくる)ぼくにはよく分かる。
この「ハナノアa」の箱に書かれている使用方法とは少し違ってくるが、ぼくの場合、ちょっとだけ顔を上向きにして洗浄液を流し込み、そして顔をうつむかせると洗浄液が反対側の鼻から出てくる。
この説明書きには鼻から流しこんで口から出すというのがメインとなっているが、鼻から入れて、その反対側の鼻から出すというのが本来の鼻うがいのかたちなので、問題ないだろう。
鼻洗浄はどうしても最初違和感と難しさ、不安感とかがあるのだが、鼻づまり、花粉症には有効なものだとおもう。
そして洗浄液は使い切ったら、また新しく買い求めるということになるのだが、このペースで使うと、それなりの出費になってしまうので、この見事な洗浄器具が入っていたので、申し訳ない気もするのだが、これを使い切ったら、じぶんで生理的食塩水をつくって代用するつもりだ。やむえまい。
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