ヘーゲル「哲学史講義Ⅱ」についてのメモ その9
「キニク派は学問的な重要性はもたず、普遍的なものの意識にかならず生じてくる一側面をいいあらわすものにすぎません。意識は個人として、事物や享楽にとらわれた状態を脱しなければならない、という側面です。(冨や満足に執着する人は、実際その生活意識において物や個別的な価値を本質と見なしています。)ただ、キニク派はこの側面をいうのに、いわゆる贅沢を現実に断念することに自由があるのを強調しました。キニク派は、一般生活上の享楽や利害とかかわりをもたない抽象的・静止的な自立しか認めなかった。しかし、本当の自由は享楽からの逃避や、他の人間、他の生活目的とのかかわりからの逃避にあるのではなく、意識があらゆる現実に巻きこまれつつ、それを超え、それから解き放たれていることにあります。」
ヘーゲルが「キニク学派」について説明しているここのところは、うなづきながら読んだのだ。
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