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2017年3月20日 (月)

テレビで辺見庸を観る

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 テレビというメディアにはつよい警戒心をもちながら接するようになってしまったが、たまにいいものが、興味が持てるものがある。

 NHKのEテレで辺見庸の長いインタビューをメインに構成されている番組を観た。

 「宗教・人生」のタイトルが出てきた。そして次に『こころの時代』というタイトルが出てきたようにおぼえている。<父を問う>というテーマだった。

 3月18日の土曜日昼1時からのもので、1時間。これは再放送。

 1回目は3月12日あさ5時からというとんでもない時間からの放送で、観ようとはおもっていたが、起きれなかった。

 暗い画面、暗い壁、暗い疲れたしかし思ったより元気な辺見庸が語る。暗い壁には辺見庸の父親の写真が映写されている。

 父親は太平洋戦争のとき兵士として中国に行っている。

 

 辺見庸の言ってることは辺見庸しか言えないことだ。

 その印象がある。

 思想とかいうものはそういうものなんだけれど、辺見庸はとくにそういうカタチだ。

 辺見庸という経験、資質、思考、血が、服を着、コトバをもち、肉体を持ち、猫をひざの上においてしゃべっているという印象だ。

 

 『抵抗論』という辺見庸の本をいま読んでいるけれども、いいとおもうところ、衝撃をうけたりするところはかなりあるのだけれど、徹底的に個人の輪郭をもつ思想であって、影響の受けようもないとおもったりする。

 読んでいて、<もう何処へもいけない場所>が書かれているとおもう。

 辺見庸のようにやったら、おれは神経を痛めてしまうなともおもう。

 しかし辺見庸の言うようなことを言うのは辺見庸しかいないのだ。ほかには見あたらない。とても貴重な表現者だ。

 

 おもったより元気だったなという印象だ。歩きはまえテレビで観たときよりもだいぶ不自由になってしまったが、ちゃんと歩いているし、もともとはそうとう頑健な身体の持ち主だろう。

 

 『1★9★3★7』をまだ読んでない。『抵抗論』は重く、つづけて読むことができない。しかし読み終わるだろうし、いつか『1★9★3★7』も読みはじめることになるだろうとおもう。

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