貝原益軒の「呼吸」
貝原益軒の『養生訓』(伊藤友信による現代語訳版)に呼吸について書かれてあるところがあってなるほどと思った。
いまの整体などの呼吸についての考え方と基本的に同じで、この人が日本での先達者なんだろう。
「呼吸はひとの鼻からたえず出入りする息のことである。呼(こ)は出る息で、身体の内にある気を吐き出すことである。吸(きゅう)は入る息であって、外気を吸うことである。
呼吸はひとの生気である。呼吸がなくなると死ぬ。ひとの体内にある気は天地の気と同じであって、内外あい通じている。ひとが天地の気の中にいるのは、魚が水中にいるようなものである。魚の腹中の水も外の水と同じく出入りしているのである。
ひとの体内にある気も天地に満ちている気と同じである。がしかし、体内の気は内臓にあるので古くなってよごれている。天地の気は新鮮で清らかである。だから、ときどき鼻から外気を多く吸いこむとよいのである。吸いこんだ気が体内にいっぱいになったならば、口から少しずつ静かに吐き出すこと。荒々しく早く吐き出してはいけない。これは古くよごれた気を吐き出して新しい清らかな気を吸いこみ、新しい気と古い気との取り換えであるからである。」
江戸時代の健康本とでもいうべき貝原益軒の『養生訓』はトイレの中にはいったとき読んでいる本で、なぜかというと、ぼくの所のトイレは便座が暖まっているというような温熱の機能はないので、しばらくは、ある程度は便座が暖まるまで、ズボンをはいて座っていて、ある程度は暖まっただろうと思われるころにズボンを下ろして、すべきことをするようにしているからだ。
だいたい5分から10分くらいそうしている。そのあいだに読んでいるわけで、和式のトイレだとこんな時間は必要ないのだが、まあ本を読めているわけだからよしとしよう。
『養生訓』を選んでいるのは気楽に、身体を緊張させずに読める本だからだ。ズボンを下ろした後も読んだりすることがあるわけで、そうじゃないとまずいのだ。断章ふうの言い切っている文章で、リズムよく読める。2、3行で終わる文章も話も多くて、どこで読み終わっても都合がわるくなるということのない本なのだ。
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