ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」についてのメモ その6
ヘーゲルをはじめて読んだのは遠めだが自転車で行ける場所でやっていたヘーゲルの勉強会でだ。
いまは亡くなってしまったけれど小阪修平さんという哲学者の「ヘーゲル勉強会」でだった。
勉強したのは「精神現象学」という本だったように思う。最初小阪さんが本から何枚かコピーしたものを配ってくれて、それで勉強したようにおもう。次の回のやるところもコピーして配ってくれて、読んでおくというかたちだったと思う。
何回か行ったけれど、やめてしまった。
ヘーゲルの精神現象学のなかには印象的な美しい緊張にみちた文章があって、そこは惹かれたけれども、全体として取っつきにくかったようにおもう。難しくもあった。
この『哲学史講義Ⅰ』というのは読みやすく、取っつきやすい。
『哲学史講義Ⅰ』を買ってから、いちばん興味が持てる本であり続けている。けっこう夢中で読んでいるところがある。
ぼくには難しいものではあるが、だいたい興味を持てて読んでいるし、大体のところは分かって読んでいる。
だれかがジャズに関して言っていたことを思い出す。
「前衛的なジョン・コルトレーンからジャズを聴き始めるのはよくない。まずデューク・エリントンやルイ・アームストロングぐらいから始めるべきだ。」
というふうに。
ヘーゲルというのは哲学の代名詞みたいな存在だった。最初にこの『哲学史講義Ⅰ』から読んでいたら、ヘーゲルのイメージも、哲学の印象もすこし変わっていたかもしれない。
おやと思ったのは、ヘーゲルは「抽象的」というコトバをあまりいい意味では使ってないということ。
「具体的」ということをプラスの意味合いでつかっていること。
「主観的」というコトバをマイナスの意味ではつかっていないこと。これはぼくのもっていたイメージとちがう。
そして身体というものを軽くみていること。
そんなことを感じる。
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