「メトロポリス」を観に行く

串田和美の演出で松たか子、森山未来、大森博史らが出る『メトロポリス』を観に行った。
これは原作というか、もとになっているのは有名なドイツの映画『メトロポリス』。
なんかロボットみたいな女がというより金属製のぴかぴかの女のロボットの映像が目に浮かぶ。
そういうポスターがあった。
ドイツの戦前の無声映画で、フリッツ・ラング監督のものだ。
それをいま舞台のほうに移しかえる、作り直すという試みで、2016年、秋深い渋谷の街のシアターコクーンで観た『メトロポリス』は暗く不気味な舞台だった。
ぼくがここ何年か観てきた舞台では異色のものだ。
唐十郎の唐組の芝居が地下の情景を描いたものなら、『メトロポリス』は地下の叙景を描いたものといえる。
唐組の芝居が地下での人情悲喜劇というおもむきをふくんでいるのに対して、『メトロポリス』にはそういうものはない。
現実ともっと拮抗したものを感じる。
唐組の芝居や松本幸四郎の『ラ・マンチャの男』が最後は<救済>を観せているのにたいして『メトロポリス』は<救済>を観せていない。そのままポーンと投げ出されているような感じだ。
暗さと不気味さと緊張感がのこる。
しかしぼくはこの緊張感に親近感をもった。
現実がそうだからね。
いまの日本社会の、アメリカの、世界の、寓話ととれるし、いろんなものを感じとれて、そのなかにはドナルド・トランプ現象への諷刺を感じ取ることもできる。
警告と批判がある。
乾いた叙景がある。
それと舞台で繰り広げられる「歩行ダンス」が面白かった。
無秩序でしかしバランスがとられている動き。ばらばらだけどつながっている動きがあって、面白いと思った。
『セツアンの善人』からの串田和美と松たか子の組み合わせに注目してきたぼくからすると、ここにいまの串田和美をみる。
でも『セツアンの善人』からずいぶん遠くにきている。
カーテンコールの松たか子をみていると、骨太のお姉さんって感じがして、座長って立場のようで、けっこうおっかないんだろうなとか思ったりして、映画『四月物語』や舞台『セツアンの善人』の印象が強いぼくとしては、ちょっとなんともいえない気持ちになったりするけれど、串田和美と松たか子の組み合わせの舞台なら、また観に来てもいいと思う。
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