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2016年10月23日 (日)

これで納得 イスラム教のこと

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 10月21日の朝日新聞の朝刊で、池内恵という人がイスラム教について話していて、これは非常に秀逸なもので、分かりやすく、柔軟だった。ぼくがイスラム教についてもっていた釈然としない思いが、はっきりと語られていて、オォと思った。
 この池内恵という人の話はテレビで何回か見ていて、話のうち一回は気になったけど、あとはどうということもないって感じだった。でも今回の記事の話は鮮烈によかった。
 ぼくが釈然としない思いをもっていたのは、西欧の学者というか、思想家というかそういう人たちのイスラム教、イスラムの人たちへの対応で、ひどくアンバランスな感じがしていた。
 イスラム教というものをよくわかってないんじゃないか、相手をよくみないで、じぶんらの思想に酔っているだけなんじゃないかと思っていた。
 日本の文化人やジャーナリスト、知識人、学者のイスラムについて語ることにもおなじ思いを持っていた。
 この人たちの言っていることは、じつはイスラム社会では通用しないんじゃないかと思っていた。
 そういったことについて池内恵の言っていることは、短いが非常にはっきりとした具体的な話で、ぼくは納得した。
 全部引用すれば非常によくわかると思うが、そうもいかないだろうから、最初から区切りのいいところまでと、最後のところを引用してみる。
 
 「西欧が自由と平等を掲げる以上、イスラム教にも様々な権利を与えるべきだと考える人は多いでしょう。では、そのイスラム教は西欧のような自由を認めているでしょうか。イスラム社会で他の宗教を信じることが許されますか。
 イスラム教の教義が主張しているのは、正しい宗教、つまりイスラム教を信じる「自由」です。ユダヤ教やキリスト教などは、間違いはあるが許容できる宗教として、信者がイスラム教の優位性を尊重する限り存在が認められますが、多神教は明確に排撃されます。実際、中東諸国で仏教寺院を建てることはできません。イスラム教の信仰を捨てる自由も認められない。欧州で「少数派の権利を守れ」と主張するイスラム教徒が、イスラム教が多数の社会では「少数派や異教徒は神が決めた区別を受けるのは当然だ」と信じているところにズレがあります。」
 「この問題は、「自由な社会は、自由を否定する思想も受け入れてなお維持できるのか」という普遍的な問いかけを含んでいます。ただ、欧州のリベラル派はそのことに気づいていない。自らが奉じる「自由」という言葉が普遍的であるという観念に惑わされ、西欧思想と同じ意味でイスラム教も自由で平等な思想だと勘違いしているからです。」

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コメント

なるほど、そうか。私も引っかかっていたところがわかりました。

お久しぶりです。
全文引用するのはさすがに朝日新聞にたいしてわるいだろうと思ってしなかったんですが、記事は短いものでして、図書館などに行かれることがあったら、読んでみるといいんじゃないかと思います。
ぼくはスーッと溜飲が下りるような思いになりました。

ヨーロッパが心配だったんです。
立派なことをやっているとは思っていたんですが、
イスラムの人たちがあれだけ同化しないのにはわけがあるだろうと思っていました。
テレビの報道で知ったんですが、ドイツの地方の村のような所で、すでにそこに住んでいる人たちよりも数多いイスラムの難民のひとたちが移住することになった所があるようです。
言葉は通じないわけだし、どんなひとたちかもわからない。
そこに住んでいる人たち、とくにお年寄りなんかは困惑するだろうし、オロオロするでしょう。
これはイスラムの難民のひとたちが多く移住することになった近隣の当然の反応でしょう。
しかし難民問題を伝える日本のジャーナリズムのなかには、この普通の反応を極右勢力と分けられない報道が多くてぼくは頭にきていたんです。

ただ差別的発言とならないように気をつけなければならない問題で、
池内恵さんも苦労してるんじゃないかと思います。

丁寧に、ありがとうございます。
図書館に行ってみます。
ほかにも同じように展開している人がもっといるのかもしれませんね。なんにも眼にしなくなってしまっているので…。〈世界〉がどう解釈されているのか、よくわかりません。
なんだか生きづらい世の中になってしまいましたね。どこを見まわしてみても掴みどころがなくて、ウロウロしてふと振りかえると無表情の顔しか並んでなくて、まいりますね。こんな世の中になるとは思ってもみませんでした。
詩の活動、ガンバッてください。
身体も気をつけてください。

ありがとうございます。
こんな世の中になるとは思わなかったというのは、ぼくの思いでもあります。
高度消費社会というのはもう少し開けた展開性のある社会になるのだと思っていました。
いま来日しているフィリッピンの大統領についてのマスコミの対応をみていると、危機は内からも外からもやってくるかもしれないと案じられます。
吉本隆明にいまの政治や社会についての解釈を聞きたいところだけれど、もういないわけで、ただじぶんの思想をもつにはこの危機はいい機会だとおもいます。
じっくりとみていようかとも思います。

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