「健康帝国ナチス」 不気味だが得るところのある本

何年か前に買ってそのままになっていたのを読んでみる。これは新刊の本屋で2200円+税で買ったものだ。
著者はロバート・N・プロクター、訳は宮崎尊のものだが、序文を読んだところで、おれには合わんと判断する。
なぜこの本を買ったのかはわかる、ひとつは当時働いていた職場の建物にアスベストが使われてあって、そのアスベストについての記述があったからだ。それとこの本のタイトル名にひかれたこともあった。とにかくちょっとは立ち読みをして、買ってもいいと思えるところがあったのだ。
しかし序文を読んだ時点でこの著者のスタンスが気に食わない。
むりして読みたくないとおもう。
おれには合わん。
今まで合わないが(そのことに気づきもしないで)、読まなければならないと思った本をいっぱい読んできたけれど、けっきょくそういう本は身に付かなかった。
2200円を超える額で買ったことと、もう読む気がしないものは読まなくてもいいんじゃないかという思いでモンモンとする。これがブックオフか古本屋で100円くらいで買ったものなら10秒で結論は出たろうが、そういうわけにもいかない。
それで雑誌類をゴミ出しする日というのは週一回しかないので、その日がくるまで何となく手にとって読んでいたんだが、けっこう興味をひかれるところもあったりするのだ。
第四章の「職業病としてのガン」まで読んだところで、
けっこう面白いじゃないか。
なんと啓示的な本だろうなどと思ってしまった。
ナチスの医学は、いまの日本、いまのアメリカ、いまの世界の医学をあらわしているようでさえある。
不気味だなあ。
いまの日本の医学、世界の医学というのはナチスの医学のあとを追いかけてきたようじゃないか。
だが「ナチスの医学」といえども、政治イデオロギーに一元化して語ることのできるものじゃなかったらしい。
医学は医学という道もあるということか。
著者のロバート・N・プロクターの姿勢は良いとはおもわない。姿がはっきりみえないところがあって、ぐじゃぐじゃしているのだ。
でも、へぇ~そうだったのか、という事実がいっぱいでてくる本でもある。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.29)
- アガサ・クリスティー「死が最後にやってくる」(訳 加島祥造)(2023.05.13)
- 「歩く」(2023.05.12)
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.11)
- 奥野健男「日本文学史 近代から現代へ」読み終わる(2023.05.01)
コメント