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2016年8月

2016年8月31日 (水)

『声のかたち』1号 発行

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2016年8月30日 (火)

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2016年8月29日 (月)

2016笠岡の夏5

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2016年8月28日 (日)

2016笠岡の夏4

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2016年8月27日 (土)

2016笠岡の夏3

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2016年8月26日 (金)

2016笠岡の夏2

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2016年8月25日 (木)

2016笠岡の夏

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2016年8月23日 (火)

街の風景

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 煙草屋さんの店頭。
 たばこをやめてかなり経った。

2016年8月22日 (月)

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2016年8月21日 (日)

木と空

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2016年8月20日 (土)

赤い花

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 赤いつぼみのような花だった。

2016年8月19日 (金)

草の風景

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2016年8月18日 (木)

道の上の虫

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 まだ生きていた。

2016年8月17日 (水)

空と標識

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 くにたち・さくら通りで。

2016年8月16日 (火)

古代ギリシア展を観に行く

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 イメージとちがいいやにあっさりとした派手さのない彫刻やなんかだなと思っていたら、だんだんと時代が上がってくるにつれ、彩りというかそういったものが豊かになってきた。
 おなじチケットではいれるというのでつい欲をかいて、日本の古代のものの展示もみてしまった。
 はっきりいえばこっちの方が、展示としては立派だった。
 というのも日本のものの展示は古代というか古墳時代から江戸時代くらいまでのものの展示だったから。
 もっとあったのかもしれないが、さすがに半分ほど見てまわったところで、目がいっぱいになってしまって、ここらで引き上げようと自分に言いきかせて、館をでた。

2016年8月14日 (日)

セミの抜け殻

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 時代を抜きに人を語ることはできないと考えたりする。

2016年8月13日 (土)

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2016年8月12日 (金)

この夏まだエアコンをつかっていない・・・

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 この夏まだエアコンをつかっていない、と人に自慢げに言ったその日にエアコンを使ってしまった。
 火曜日の夜に。
 あまりの暑さに寝つきがわるくて、冷房をつかってしまったのだ。
 部屋の温度は33度台から下がらなかった。その前の日の場合は30度台で窓を開けても風は入ってこなかったのだが、あっさりと眠れたのだ。
 それで火曜日もだいじょうぶだとおもった。風はよく通っているし、33度台の室温だが、眠れるだろうと寝に入った。だがダメだった。
 その日は朝から気温が高くて、部屋のなかは早くから30度以上だったと思う。一日中そんな感じだった。それで部屋自体が熱をもってしまったのだ。壁や天井(ぼくは最上階に住んでいる)、部屋の空気、押し入れの中などが。
 部屋のなかは窓を開けて風を通していたから、ある程度熱気が取れていたと思うが、押し入れは熱気がこもったままになってしまっていた。そのことが頭から抜けおちていた。
 ぼくは押し入れのある部屋に寝ているから、その影響があったと思う。押し入れのなかも風を通して、熱気を逃しておくとよかった。
 壁とか天井はしょうがないとしても、押し入れはもう少しなんとかなった。
 この日まで、ぼくはこの夏、自分の家ではエアコンをつかっていなかった。
 外に出たとき、図書館や喫茶店、本屋に行ったときなんかは、当然そこの冷房で涼むことになるわけだけど、じぶんの家にいるときはまだつかっていなかったのだ。
 必要がなかった。
 風がよく通るからだ。
 この夏の特長は、風がよく吹くということだと思う。
 眠るときもエアコンをつかう必要がないほど、風がよく吹いていて、窓をあけていれば、エアコンは必要なかった。
 エアコンは使わなければ、使わないに越したことはないわけで、この夏は身体の調整がうまくいっている、じぶんの身体でちゃんと夏に対応できていると思っていたので、残念だ。
 でも眠れなければしょうがないわけで、どうすれば、どういう部屋の環境にするのがいちばん眠りに入りやすいのだろうと、その都度その日の状態によって選んでいくしかない。
 

2016年8月11日 (木)

近所の風景

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 朝の散歩中。

2016年8月10日 (水)

綿矢りさの小説

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 綿矢りさの小説をひさしぶりに熱心に読んだ。
 朝日新聞の夕刊で毎週金曜日に載っている『私をくいとめて』という小説だ。なぜ読んだかというと主人公の女性が整体院で整体をうける描写がすごくよかったからだ。
 7月29日に載ったもの。
 さすが小説家という感じ。
 この整体院の整体師は腕のいい整体師だ。
 ああ気持ちいいだろうなあと思いながら読んだ。
 綿矢りさの小説は『インストール』だったかな、『蹴りたい背中』だったか、ああいう感じがよくて、好きで、読んでいた。
 スピード感があって、加速感があって、という文章にひかれたんだと思う。コーナーを曲がるときちょっと身体が浮くような感じがあったのかもしれない。しばらくは小説も買いつづけて熱心に読んでいたけれど、いつの間にか読まなくなってしまっていた。
 この連載小説は読んでみようか。

2016年8月 9日 (火)

祭り

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 地元の自治会の主催する夏祭り。
 祭りの好きな人は多い。
 いっぱい人が集まった。

2016年8月 6日 (土)

八月の愚痴

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 東京都知事選の結果にはがっかりした。小池リード、鳥越苦戦の予想は出ていたから、あんまり落ち込まないように気持ちを持っていっていたけれども。
 鳥越俊太郎は135万票くらい取っている。東京都で135万人くらいの人が投票したわけだから、これは少なくない人数だ。
 ではあるが完敗だな。
 (小池百合子が圧勝したのは、立候補のいきさつが、大政党の自民党の意向を無視して、さからってというかたちが東京都の人間の胸を、気持ちをつかんだということが大きかったと思う。鳥越俊太郎、増田寛也、小池百合子の三人の有力な候補のうち、ただ一人政党の推薦を受けていないということもあったろう。
 でも小池百合子という政治家は、これまでの言動からすると、そういう大きいものを蹴飛ばしてスカッとするという庶民の心情を代弁するような政治家じゃないと思う。)
 ぼくの印象を書いてみると、出だしで、参院選で憲法改正勢力が3分の2を取って、いったい日本はどうなってしまうのだろうと思っているときに、東京都知事選に鳥越俊太郎が野党統一候補として出馬すると聞いて、オーッとなっているときに、テレビで最初の討論会みたいなので、宇都宮健児に「都政は・・・ですね」とか言われて、鳥越俊太郎の勢いがとまった感じになったのが辛かった。宇都宮健児がすでに都知事選への立候補を辞退していて、あの討論会に出ていなければ、また感じは変わっていたと思う。
 あと週刊誌の見出し報道によるバッシングの影響はどうだったのだろう。
 この二つがなければどういう結果になっていただろう。
 阿佐ヶ谷に行ったとき、駅で民進党の枝野幹事長と民進党以外の何人かの都や区の議員が選挙カーに乗って、鳥越俊太郎の応援演説をやっていた(鳥越俊太郎自身は来なかった)。
 枝野幹事長の演説は自身の子育ての話しが分かりやすくうまい、要領のいい演説だったけれども、憲法改正の話しはほぼ出ない。票にならないと判断していたのだ。そのとおりだったのだろう。
 過半のひとたちは憲法が改正されることに関心をもっていないか、どうでもいいといったところなんだろう。
 その人たちに、憲法が変えられることは、それに順じて法律も変えられていくだろうし、マスメディアも「順応」の度合いを強めていくだろうし、この同調社会の日本で、やがて生活するということそのものに影響を与えていくかもしれないリアルな問題なのだということを伝えることが、なぜかうまくいかない。ことのほか難しい。(逆にいえば、この人たちは憲法改正にみずから熱をあげるということはないだろうし、このうちの半数のひとはやがて国民投票が行われることになっても、マスメディアがどう誘導したとしても容易には投票に行ったりしないだろう。ぼくとしてはそれもアリだとおもうのだ。ただこのスタイル、あり方は、先のことにしても、憲法改正が行われ始め、法律もつぎつぎに変わっていき、マスメディアも変わり、社会の雰囲気も変わりということになってくると、そのまんまというのは段々と難しいものになっていくんじゃないかとぼくは思う。)
 日本人のもつ政策に対してのイメージ、統治に対してのイメージ、あるいは国民世論というものはマスメディアの報道、放送の反映そのものではないとしても強い影響力のなかにあるだろう。
  とくにテレビの影響は大きい。
 こんどの都知事選でも思ったし、ずっと思っていることだけれども、マスメディアは公正中立とはいえない。
 だとしたらもう先は見えているようにも思うのだ(悲観的ではあるが)。
 だったらもう政治状況に気持ちを振りまわされるのはご免ということで、ここらで、我関せずと、高みの見物にまわったほうが賢明のような気もする。
 しかし自民党の憲法改正草案を読んでしまっている。これは法律の専門家でもない人間が読んでいても、スーッと読んでいってしまって、何が問題なのかよく分からないところがある。
 しかしいまの憲法と読み比べてみると、変えようとしている人たちが、どう変えたいのかが透かし見えてきてしまうのだ。
 まちがいなく窮屈な世の中になるだろう。
 結局は息苦しくなっていく世の中で、我関せずというわけにもいかなくなるかもしれない。
 どうしたもんだろう。
 (どうしたらいいのだろうと、なにか参考にならないかと『吉本隆明のメディアを疑え』という本を思い出して読みかえしてみたが、得るものはあった。あらためて吉本隆明は別格の思想家だなと思った。じぶんで何かを考えようとしたとき、吉本隆明のすごさが分かる。
 ハズしているとこも、この本を出しているころは70代後半というところなので、放談ぽいところもあったりするのだが、これぐらい骨組みのしっかりしている思想家はいない。
 戦争から終戦という日本の社会の激変のなかで、それからずっと考えることをやめなかった人なんだなと思った。巨大な知識が下敷きになっていて、なかなかマネはできないのだが、日常の直接的な見聞から、体験からものごとを見抜いていく力はすごい。新聞の記事からテレビの放送からなにが起こっているのかを見抜いていく眼のちから耳のちからにはほんとうに感心する。
 ただ吉本隆明はあきらかに吉本隆明の世界全体を受け入れるか、それとも吉本隆明の世界を読まないかを迫ってくる思想家であり表現者でもあって、どう参考にするかはそれはそれでむずかしいところがあるのだが、より悩むにはいい本だ)。
 いろいろ考えているのだ。
 もううんざりしているのだが、やってくるだろう社会のイメージが見えてしまう。
 ひとつだけ決めてある。テレビとの接し方は変えることにした。
 
 
 

2016年8月 5日 (金)

阿佐ヶ谷で

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 駅前で撮る。

2016年8月 4日 (木)

映画館で

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 「憎いあンちくしょう」を観に行った。

2016年8月 3日 (水)

店先のトトロ

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 大学通りで。

2016年8月 2日 (火)

整体とヴィヴァルディ

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 整体をするとき、片山整体の腰椎1番から腰椎5番までをゆるめる、弾力をつける整体を中心にしてやっているとき、今はよくヴィヴァルディの「四季」を聴いている。
 明るくおだやかな感じがいいのだ。

2016年8月 1日 (月)

赤い大きな花が咲いていた。朝顔か・・・

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