東京都知事選の結果にはがっかりした。小池リード、鳥越苦戦の予想は出ていたから、あんまり落ち込まないように気持ちを持っていっていたけれども。
鳥越俊太郎は135万票くらい取っている。東京都で135万人くらいの人が投票したわけだから、これは少なくない人数だ。
ではあるが完敗だな。
(小池百合子が圧勝したのは、立候補のいきさつが、大政党の自民党の意向を無視して、さからってというかたちが東京都の人間の胸を、気持ちをつかんだということが大きかったと思う。鳥越俊太郎、増田寛也、小池百合子の三人の有力な候補のうち、ただ一人政党の推薦を受けていないということもあったろう。
でも小池百合子という政治家は、これまでの言動からすると、そういう大きいものを蹴飛ばしてスカッとするという庶民の心情を代弁するような政治家じゃないと思う。)
ぼくの印象を書いてみると、出だしで、参院選で憲法改正勢力が3分の2を取って、いったい日本はどうなってしまうのだろうと思っているときに、東京都知事選に鳥越俊太郎が野党統一候補として出馬すると聞いて、オーッとなっているときに、テレビで最初の討論会みたいなので、宇都宮健児に「都政は・・・ですね」とか言われて、鳥越俊太郎の勢いがとまった感じになったのが辛かった。宇都宮健児がすでに都知事選への立候補を辞退していて、あの討論会に出ていなければ、また感じは変わっていたと思う。
あと週刊誌の見出し報道によるバッシングの影響はどうだったのだろう。
この二つがなければどういう結果になっていただろう。
阿佐ヶ谷に行ったとき、駅で民進党の枝野幹事長と民進党以外の何人かの都や区の議員が選挙カーに乗って、鳥越俊太郎の応援演説をやっていた(鳥越俊太郎自身は来なかった)。
枝野幹事長の演説は自身の子育ての話しが分かりやすくうまい、要領のいい演説だったけれども、憲法改正の話しはほぼ出ない。票にならないと判断していたのだ。そのとおりだったのだろう。
過半のひとたちは憲法が改正されることに関心をもっていないか、どうでもいいといったところなんだろう。
その人たちに、憲法が変えられることは、それに順じて法律も変えられていくだろうし、マスメディアも「順応」の度合いを強めていくだろうし、この同調社会の日本で、やがて生活するということそのものに影響を与えていくかもしれないリアルな問題なのだということを伝えることが、なぜかうまくいかない。ことのほか難しい。(逆にいえば、この人たちは憲法改正にみずから熱をあげるということはないだろうし、このうちの半数のひとはやがて国民投票が行われることになっても、マスメディアがどう誘導したとしても容易には投票に行ったりしないだろう。ぼくとしてはそれもアリだとおもうのだ。ただこのスタイル、あり方は、先のことにしても、憲法改正が行われ始め、法律もつぎつぎに変わっていき、マスメディアも変わり、社会の雰囲気も変わりということになってくると、そのまんまというのは段々と難しいものになっていくんじゃないかとぼくは思う。)
日本人のもつ政策に対してのイメージ、統治に対してのイメージ、あるいは国民世論というものはマスメディアの報道、放送の反映そのものではないとしても強い影響力のなかにあるだろう。
とくにテレビの影響は大きい。
こんどの都知事選でも思ったし、ずっと思っていることだけれども、マスメディアは公正中立とはいえない。
だとしたらもう先は見えているようにも思うのだ(悲観的ではあるが)。
だったらもう政治状況に気持ちを振りまわされるのはご免ということで、ここらで、我関せずと、高みの見物にまわったほうが賢明のような気もする。
しかし自民党の憲法改正草案を読んでしまっている。これは法律の専門家でもない人間が読んでいても、スーッと読んでいってしまって、何が問題なのかよく分からないところがある。
しかしいまの憲法と読み比べてみると、変えようとしている人たちが、どう変えたいのかが透かし見えてきてしまうのだ。
まちがいなく窮屈な世の中になるだろう。
結局は息苦しくなっていく世の中で、我関せずというわけにもいかなくなるかもしれない。
どうしたもんだろう。
(どうしたらいいのだろうと、なにか参考にならないかと『吉本隆明のメディアを疑え』という本を思い出して読みかえしてみたが、得るものはあった。あらためて吉本隆明は別格の思想家だなと思った。じぶんで何かを考えようとしたとき、吉本隆明のすごさが分かる。
ハズしているとこも、この本を出しているころは70代後半というところなので、放談ぽいところもあったりするのだが、これぐらい骨組みのしっかりしている思想家はいない。
戦争から終戦という日本の社会の激変のなかで、それからずっと考えることをやめなかった人なんだなと思った。巨大な知識が下敷きになっていて、なかなかマネはできないのだが、日常の直接的な見聞から、体験からものごとを見抜いていく力はすごい。新聞の記事からテレビの放送からなにが起こっているのかを見抜いていく眼のちから耳のちからにはほんとうに感心する。
ただ吉本隆明はあきらかに吉本隆明の世界全体を受け入れるか、それとも吉本隆明の世界を読まないかを迫ってくる思想家であり表現者でもあって、どう参考にするかはそれはそれでむずかしいところがあるのだが、より悩むにはいい本だ)。
いろいろ考えているのだ。
もううんざりしているのだが、やってくるだろう社会のイメージが見えてしまう。
ひとつだけ決めてある。テレビとの接し方は変えることにした。
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