「ひょうたん」59号
『ひょうたん』59号ができました。
ぼくは「辞める日」という詩を書いています。
『ひょうたん』59号に書いているのは、
阿蘇豊、岡島弘子、布村浩一、村野美優、君野隆久、小林弘明、睦ゆみこ、後藤順、小原宏延、絹川早苗、柏木義高、水嶋きょうこ、中口秀樹、相沢育男です。
発行所はひょうたん倶楽部。編集・制作は相沢育男。装画は相沢律子。定価400円。
参議院選挙の投票当日、夜中の0時過ぎまで、テレビの開票速報の放送をみていて、どうやら改憲をしようという政党とそれに乗っていくだろう政党の勢力が、憲法改正の発議に必要な3分の2にはならないみたいで、ホッとして眠ったわけだけど、次の日の朝、ぼくは目覚まし代わりにテレビが6時に点くように設定していて、「改憲勢力が3分の2に達しました」というNHKの放送の声で半ば起こされ、布団のなかでうつつの状態で聞きながら、寝返りをくりかえして身体が覚めるのを待った。
何らかの動きは始まるんだろう。
安倍政権は「日本を変えるための」法律をすでにいくつも成立させているわけだから、憲法改正への動きを踏みだせると考えれば、うごかせる状況だと判断すれば、あらためて動きを示すのだろう。
安倍首相には憲法を変えることへの強い執着を感じる。
安倍首相でなければ、自民党もこれほどは憲法改正にうごいてないように思う。
もし何らかの理由でその動きが起こらないなら、それに越したことはない。
いま憲法を変えようとする人たちは、憲法ができてから70年ぐらい経って、古くもなっているから、新しいものにしようと、それで変えようとしているわけではない。
それだけで変えようとしているわけではない。
それだけならぼくは反対しないし、心配もしない。そうじゃないから心配してしまうのだ。
いま憲法を変えようとしている人たちは、簡単にいえば、今の憲法のもつ、戦後の憲法の持つ、<人間>というもののもつイメージの広がりが気にくわないのだ。
<人間>のもつイメージの広さがいやなのだ。
もっと<人間>というもののイメージを縮めたいのだ。<人間>というものを縮小したいのだ。
そのことに強い欲求をもつ人たちがいるのだ。
だからまちがいなく今の状況で憲法改正に向かったら、社会は窮屈な方向にいく。社会のもつ許容範囲というものは狭くなる方向に行く。
だから反対しているんだ。
もしいまの憲法のもっている「国民主権」、「基本的人権」、「個人の尊重」、「法の下の平等」、「集会・結社・表現の自由・検閲の禁止・通信の秘密」といった核のところが守られて、人類の普遍的原理に顔を向けていて、そのうえで憲法を新しい装いにしようということなら反対しない。
またもっと<人間のもつ広がり>を追求していこう、ひろげていこうということなら、ぼくは憲法改正に賛成だ。
そういう方向なら賛成だ。
しかしそういう状況にはない。
いまの政治状況なら憲法改正は、社会をきゅうくつな方向にもっていくことになるだろう。
まちがいなくそうなる。
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