「喜劇 駅前天神」観想

笑った。笑える。笑わされた。
映画を観ているあいだけっこう笑った。
おかしかった。
森繁久彌、フランキー堺、伴淳三郎、三木のり平たちがおかしいのだ。
池内淳子は前観た『喜劇 駅前茶釜』ほどではないが、ときどきハッとするほど美しい。
しかしいちばんの印象は前作の『喜劇 駅前茶釜』ほどのんびりしていないことだ。
『駅前茶釜』ほどおっとりしていないのだ。
これは前作の『喜劇 駅前茶釜』が作られたのが1963年。この『喜劇 駅前天神』が1964年に作られていて、あいだに東京オリンピックがはさまっている。だからこのテンポのちがいは東京オリンピックが行われる前と後とのちがいなのか。
そんなこと思ったりもしたんだが、ちょっと調べてみると駅前シリーズとして作られた映画はものすごく多く、『喜劇 駅前茶釜』は『喜劇 駅前天神』の前作ではない。その間に三本の映画が作られているようだ。
そうすると東京オリンピックの後の時代から今に至るリズムが、スピードがこの頃作り出されてきたのか、その始まりの頃の映画なのかとおもったんだが、ちがうのか。
そうするとこのちがいは『喜劇 駅前茶釜』を作った久松静児監督と『喜劇 駅前天神』を作った佐伯幸三監督のちがいということになるんだろうか。
ぼくは『喜劇 駅前茶釜』と『喜劇 駅前天神』のあいだに社会の動くスピードの転換を観たような気がしたんだが。
まあいいや。
これだけ声をだして笑うとなんだかスカッとはするのだ。
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