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2016年5月15日 (日)

唐組「改訂の巻 秘密の花園」観想

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 ものすごく客が入っていた。ぼくは唐組の初日の公演というのは、あんまり行ったことがないのでわからなかったけれど、新宿花園神社の初日の公演というのはいつもこうなんだろうか。
 おどろいた。
 唐組・第57回公演『改訂の巻 秘密の花園』
 作=唐十郎 演出=久保井研+唐十郎
 前いちどくらいは観てるんじゃないかと思うけれど、<改訂>が効いているのか、はじめて観るような感じだった。
 今回は芝居が始まる前の、どこかのアパートの一室らしい舞台のたたずまいというかわびしさが目にとまって、こういう感じのものもいいな、わびしい感じの舞台もいいなと薄ぼんやりとした明かりのなかの舞台をみながら思ったりしたのだ。
 最初に印象に残ったのは、『秘密の花園』の主要登場人物一葉(いちよ)になる藤井由紀の白い服のくっきりと清楚な感じ、いままでの藤井由紀の印象とちがっていた。
 この白い服の一葉のヒモのような夫の名前が大貫というのだ。オオヌキと読む。ぼくが昔むかし友人の家に居候(いそうろう)をしていたとき、多くの人の出入りがあって、そのなかに大貫徹というひとがいたのを思い出す。
 これはオオヌキトオルと読むのだが、ダイカンテツということばをひねったものだった。大貫徹の恋人が堀出美里(ホリデミサト)というひとで、これはビリー・ホリデイを逆さにしてひねったものだというのを、あとで知ることになる。
 大貫さん、堀出さんなんて呼びあっていたから、本名だと思っていた。そしてダイカンテツはビリー・ホリデイにふられてしまったのだ。
 まあどうでもいいことではあるが、ぼくはそのことを思い出しながら、『秘密の花園』を観ていたのだ。
 話の筋は明確には思いだせない。そういう芝居だったということもある。
 太い枝からまた枝が伸びるように、枝から葉がひろがっていくように物語は伸び、広がっていく。
 その枝から、葉から<場面>という花が咲く。
 それが記憶に残る。
 ところどころの場面の花が残っている。
 それでいいんだろう。
 唐組の舞台に常に立っていた稲荷卓央や岩戸秀年が出てこなかったこと。観たことのないような役者が最初舞台に出てきてしゃべったこと。
 最後のあいさつで舞台中央の久保井研の身体が水に濡れて震えていたこと。
 そんなことが残っている。
 便所のなかの首吊り。垂れた太い身体。<坂>というコトバ。バカ殿様の格好をした辻孝彦が妙に面白かったこと。
 そんなことが残っている。
 悲しい物語だったけれども、ひとつの花が立って咲いている。それはとてもくっきりとした姿で立っている。
 そんな印象か。
 

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