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2016年5月25日 (水)

阿佐ヶ谷で

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 この街にずっと昔住んでいたが、駅のまわりをちょっと歩いたり、昔よく見ていただろう駅のホームからの風景をながめていても、あんまりなつかしさというか、なじみ感がでてこない。
 これはひとつにはというか大きな理由として、東京という都市が「変わりつづける風景」というものをもっているからだと思う。
 年がら年中どんな所でも行われている建築工事が、ちょっとずつ風景を変えつづけ、しばらくぶりに「そこ」へ行ったとしても、風景が微妙にずれてしまっているのだ。
 いまは映画館に行くときぐらいしか阿佐ヶ谷に行かないけれど、いつもなつかしいようであんまりなつかしくもないといった気持ちが通り過ぎる。

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