オーウェルの紅茶

『オーウェル評論集4 ライオンと一角獣』のなかに紅茶について書いたオーウェルのエッセイ「一杯のおいしい紅茶」があって、読んでいて意外な感じもし、やっぱりなとも思ったのだ。
このエッセイのなかでオーウェルは紅茶への強いこだわりをみせていて、紅茶の入れ方のあれこれを書いている。
とうてい紅茶の入れ方などにこだわっているというふうにはみえないのだが、紅茶というものへの作法のようなものがあるらしい。いや紅茶を飲むという行為にはこうするのが正しいのだということがあるようなのだ。
この現実との<交換>というか、現実との「呼吸の交換」とでも呼びたいような、こういった現実への接し方は、ぼくにジョージ・オーウェルの名を刻み込ませた『1984年』にも現れていたように思う。
たぶん主人公か誰かが言った言葉として、
「現実というものに復讐されるだろう」という言葉があったように思う。
捨てぜりふのように言っていたのだ。決定的な言葉として使っていたのだ。ぼくは覚えている。
ぼくはその言葉を思い出したのだ。
オーウェルはオーウェルとして生活というものを享受していたのだ。
そして物事に対して、時代のなかで新しいこと、古いことといったことを選ぶ基準にしていない。選りわける基準にしていない。
古くてもなんでも、じぶんの好み、じぶんの勘、じぶんの好き嫌いで選んでいる。それでいいんだとおもう。
じぶんの好き嫌いで選ぶということは、大きくいえばそのことが自分のなかを通ったということだからだ。
頭のなかで図式的にものごとの善し悪しをチェックしたということではなく、ものごとが自分の実感や身体性、資質や気質を、経験をたしかに通り抜けたということになるからだ。
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