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2016年2月17日 (水)

「ブラック・スキャンダル」観想

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 この映画について書かれた批評にそそられて観に行ったが、ハズレ。

 つめたい映像のつめたい物語で、カタルシスゼロ。

 あってはならないことだ。

 何でおれはこの時間にこの劇場にいてこの映画を観ているんだろうとチラっと思ったりした。

 それなりに作りはしているが、冷酷としかいいようのないギャングの平板な物語で、ジョニー・デップのアイルランド系のギャングは、最初から冷酷な男として映画のなかに登場していて、どうしてこの人物が人を殺すことを罪とも何ともおもわないような人間になったのかということが分からない。

 ジョニー・デップが熱演しているなと思うくらいだ。

 ジョニー・デップのほかにベネディクト・カンバーバッチなんかも出ているが実っていない。

 この映画、こういう映画というのは今のアメリカ社会にとっては<意味>のあるようなものなんだろうか、<意味>の生じてしまうものなんだろうかとは考えた。

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