「ひょうたん」58号
『ひょうたん』58号ができました。
ぼくは「リズムは移行中」という詩を書いています。
58号に書いているのは、
絹川早苗、君野隆久、小原宏延、村野美優、柏木義高、水嶋きょうこ、阿蘇豊、岡島弘子、後藤順、布村浩一、森ミキエ、相沢育男、中口秀樹、睦ゆみこです。
発行所はひょうたん倶楽部。編集/制作は相沢育男。装画相沢律子。定価400円。
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『ひょうたん』58号ができました。
ぼくは「リズムは移行中」という詩を書いています。
58号に書いているのは、
絹川早苗、君野隆久、小原宏延、村野美優、柏木義高、水嶋きょうこ、阿蘇豊、岡島弘子、後藤順、布村浩一、森ミキエ、相沢育男、中口秀樹、睦ゆみこです。
発行所はひょうたん倶楽部。編集/制作は相沢育男。装画相沢律子。定価400円。
大学通りで。
いままで歩いたことのない道を歩いていたら、この階段があった。
無農薬野菜を作っている古い友人夫婦から月いちど野菜をとることになった。そのなかに赤大根が入っていて、こうあった。
「赤大根は大根おろしにしてちょっとすをかけると色がピンクから紫にかわります。」
俄然興味をもちだしてスーパーマーケットに行って酢を買ってきた。リンゴ酢というものを買った。
酢を買ったというのは相当前のことか。もしかしたら初めてか。
赤大根をおろしてリンゴ酢をかけるとたしかに色が紫色にちかいものに変わっていくのだ。
朝の散歩中。
今年初めて、この猫に会った。
いままで寒かったので、ここには来なかったのだ。
日がまぶしくて、目をほそめている。
名画だった。テレビでの放送を何度も観ているが、それとはちがう印象だ。
いままではアガサ・クリスティ原作ということで覚えていたが、監督のシドニー・ルメットの名を頭に刻んだ。
よく出来ている。優雅なところも持っている。名探偵エリキュール・ポワロを演じるアルバート・フィニーは熱演にして名演。
1974年のイギリス映画。
朝の散歩中。
散歩中のこと。
ひな壇をかざってあった。
散歩中。
手のかかるものは面倒な気持ちになってしまうが、それでもちょっとづつ料理のことはおぼえていこうとしている。
この本はときどき開く。
この映画について書かれた批評にそそられて観に行ったが、ハズレ。
つめたい映像のつめたい物語で、カタルシスゼロ。
あってはならないことだ。
何でおれはこの時間にこの劇場にいてこの映画を観ているんだろうとチラっと思ったりした。
それなりに作りはしているが、冷酷としかいいようのないギャングの平板な物語で、ジョニー・デップのアイルランド系のギャングは、最初から冷酷な男として映画のなかに登場していて、どうしてこの人物が人を殺すことを罪とも何ともおもわないような人間になったのかということが分からない。
ジョニー・デップが熱演しているなと思うくらいだ。
ジョニー・デップのほかにベネディクト・カンバーバッチなんかも出ているが実っていない。
この映画、こういう映画というのは今のアメリカ社会にとっては<意味>のあるようなものなんだろうか、<意味>の生じてしまうものなんだろうかとは考えた。
午前中の映画館。
大学通りで。
散歩中。
網野善彦の『日本の歴史をよみなおす(全)』を読んでいる。まだ読みはじめだが、面白いところがあった。
「日本の村は、その四分の三ぐらいが室町時代に出発点を持っている。」というところ。へぇ~そうなのかと思った。
それと「市場」というものについて。
「交換」するということは、それまでの人と人との、人とモノとの濃い関係を切って、離れて、「無縁」というものを経て、はじめて成り立つものだということ。
「モノとモノとを商品として交換するということは、ある時期までの社会では、普通の状態では実現できなかったことだと思うのです。」
「この問題について、勝俣鎮夫さんが非常におもしろいことをいっておられます。モノがモノとして相互に交換されるためには、特定の条件をそなえた場が必要なので、その場が市場である。市場においてはじめて、モノとモノとは贈与互酬の関係から切り離されて交易をされることになるのではないか。」
「そこにはいると、モノも人も世俗の縁から切れてしまう。つまり『無縁』の状態になるのではないかと思うので、そうなった時にはじめて、モノとモノとを、まさにモノそのものとして交換することが、可能になるわけです。」
解体工事中の家の古い階段を撮った。
散歩道にある信号機。
屋根の上に立つテレビアンテナ。
パッと目にはいってきた。
近所の店のそばに置いてあった鉢(やっぱり鉢というらしい)のなかの赤い花。
昼ごろの立川。
ルイ・マルの快作。1958年のフランス映画。
ジャンヌ・モローとモーリス・ロネの2016年からみればおっとりしすぎている犯人ぶりにはイライラさせられるが、最後のカメラに残されたネガフィルムからすべてが解けていく落ちには舌をまく。
白黒の映像にマイルス・デイビスの音楽がぴったりと合っていて、最高。映画と音楽がこれほど相乗効果をあげているものはあんまりないな。
よく見ると蛇口の下につららが立っている。
朝の散歩中のこと。
マクドナルドでマックフルーリーオレオというものを食べているところ。正しくはマックフルーリーミルクティーオレオというらしい。
すいている時のマクドナルドはなかなかいい。
レーチェル・カーソンの『われらをめぐる海』(訳日下実男)を読んでいる。
図書館に行ったとき、レーチェル・カーソンの『沈黙の春』以外の本が二冊ほどあって、そのうちの一冊を借りた。
これは海洋学とか海の考古学とかそういうものの範疇にはいるものを扱っているんだろうけど、レーチェル・カーソンはこの星にあらわれた海というものの構造、大きな動き、歴史、微妙で複雑な流れといったものを典雅といっていい、豊かな美しい文章で、説き明かす。
こういう学問的なことをこれほど物語を書くように描くことが可能なのだと、おどろく。
訳者の日下実男の書いているあとがきで、『われらをめぐる海』は1960年代半ばごろのアメリカでは「専門の書店はむろんのこと、デパートやドラッグストアの片隅などーーおよそ本の置いてあるところならどこでも、見かけたものである。」というようなベストセラーでありロングセラーであったことを教えていて、当時のアメリカというのは、いまでは想像することのできないような社会だったんだなと思う。
正しくは「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」という映画名。
この映画のことはいま詩に書いているところ。
テレビで野田秀樹の『エッグ』という劇を観て、野田秀樹の作る演劇がぼくのもっているイメージと全然ちがうことに気づいた。『エッグ』は強烈な政治劇だった。
それで食わず嫌いはよくない、とにかく観てみよう、松たか子も出ているしと、今度の『逆鱗』という芝居のチケットを、前売り券を買いに行ったが、完売だった。
新聞で前売り券完売のことは読んでいたが、野田秀樹の劇団のホームページには前売り券完売とはなかったので、もしかしたらと思って買いに行ったのだがダメだった。
これはまだ公演開始前のことで、大した人気だ。当日券は買えるとあったが、この調子だと当日何時間もまえに行っても、買えないということもありうるなと思って、もう芝居はやめよう。映画にしようと思った。
映画がいい。
これからは映画だ。こっちの都合で観に行く日を決められるし、安い。『逆鱗』はA席で7800円だったと思う。
そういうわけで『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という映画は、これからは映画だと決めて観に行った最初の映画になる。
これは草なんだろうか、葉なんだろうか。
ちょっとしらべたが、ヤブランという冬の草ににている。
しかしはっきりしたことは分からない。
散歩中。
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