雪のなかの花
歩く。
歩くことほど全身を起動させることはないんじゃないかとおもう。
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歩く。
歩くことほど全身を起動させることはないんじゃないかとおもう。
ヨガでつかう鼻洗浄用の容器をネティ・ポットという。ロフトやドラッグストアを5、6店まわったが置いてないので、アマゾンを介して買った。
手数料、配達料など込みで1252円。ネティ・ポットそのものは648円。樹脂製のもので軽くて薄くて小さいので、ちょっと高めかなとおもったが、この形のものがやはり鼻洗浄につかうには都合がいい。そんなに売れるものじゃないというか、店に置いていてもまず売れない物だろうから、また買い求めるとしたら、やはり配達というかたちになるだろう。
鼻洗浄をおこなう場合は、注意を要することがある。へたをすると身体にダメージをあたえることもありうるので、気楽にすすめるというわけにはいかない。
いずれ鼻洗浄についてはくわしく書いてみたい。
図書館に行く途中。
散歩中。
チャカ・カーンの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もいい。弾んでくる感じがする。
輝いていた。
朝の散歩中。
散歩中。
こんどのスマップの解散騒動をずっとみていておもったことは、日本の芸能界では事務所の意向というのが絶対で、個人の意向というのはゼロ扱いなんだなということだった。
スマップのファンということでもないし、とくに関心があるというのでもないので、解散の報道があったときも、スマップのメンバーのうちの4人が独立するようで、あとのひとりの木村拓哉はジャニーズ事務所に残るようだということを聞いても、ああそうなんだとおもっただけだった。
そのうちテレビでスポーツ新聞の記事を引用するかたちで、4人の独立があやしくなり、木村拓哉が事務所との仲介をやっているということを報道したときは、木村拓哉に変な感じをもった。
謝罪会見というものも生で観る気にならず、後で、ほかのテレビ番組でその場面が放送されるのを観ただけだが、中央に立って、「ただ、前だけを向いて・・・」みたいなことをしゃべっている木村拓哉が気持ち悪かったな。報道する側の対応もふくめて、全体にすごくいやな感じがして、それからはテレビ番組でスマップの解散についての話題がとりあげられるとチャンネルを変えていた。
事務所側に問題があるのではないか、これはスマップのメンバーの問題ではなく、ジャニーズ事務所の問題なのではないかという視点を提供していたのは、ぼくが観たかぎりでは「TOKYO MX」の朝の報道番組だけだった。
スマップと事務所の関係というのは象徴的なことといえて、日本の会社とそこで働く者である社員、パート、アルバイト、派遣などの関係に置きかえられる。そのものだといえる。だいたいのところは働いている人間というのは忍従をしいられてしまう。
考えればおれにしたって、ほとんど文句もいわないで、たいてい何があっても黙って働いてきたといえる。長いあいだそうしてきた。日本中の職場で働いている人間の、ほとんどがそうだ。
だから現われたと思ったら、ただ謝っていたスマップのメンバーのことをどうのこうのはいえないのだ。
ただおれは<出世欲>にとりつかれて、職場の仲間をけり飛ばすようなことはしなかったよなと思った(さんざんけり飛ばされはしたが)。
テレビでのスマップの謝罪会見に感じた気味悪さはじぶんの考えをいうわけでもなく、ただじぶんに責任があることにして謝っているスマップのメンバーのあまりにも日本的な光景と、もうひとつ、真ん中に突っ立っていた木村拓哉にあるのだとおもう。ぼくは木村拓哉という人は<出世主義者>じゃないかと推測したのだ。
事務所を権力をもつ側としたら、力をもつ側としたら、木村拓哉という人は何を考えて行動していたんだろうと、ぼくはおもってしまう。
なんか面白くないなあとおもっていたら、藤原新也の公式サイトであれは「公開処刑」なんじゃないかという見方があることを知った。
「ジャニーズ帝国による公開処刑だとネットではもっぱらの評判だが、」と藤原新也は書いている。藤原新也も今回のスマップ騒動をうす気味悪わるくおもっていたのだ。
それで「スマップ公開処刑」で検索するとなるほど、そういう意見がいっぱいでてきた。それが実際にあったことに近いだろうとおもえる記事もあった。この件にかんしてはテレビや新聞よりもネットのなかによく見ている記事がある。
ホッとした。
おれだけがストレスをためていたわけじゃないと知った。
「出世主義者」は「出世」するだろう。こういう人間がいると都合がいいと考える人間がいるからだ。
しかし人相には気を付けたほうがいいね。濁りが顔に出てくることがあるから。
朝の散歩中。
このごろときどき聴いている曲。
レッド・ツェッペリン『胸いっぱいの愛を』。
昔からツェッペリンの曲のなかでは、この曲がいちばん好きだった。
今年は暖冬でもう雪は降らないのかとおもっていたが、降った。やっぱり自然はバランスをとる。
国立(くにたち)のギャラリービブリオでやっている「つげ忠男原画展」に行ってきた。ギャラリーのご主人によればつげ忠男は74歳になるが描く気満々なのだという。
つげ義春、白土三平の動向も教えてくれた。
つげ忠男は荒々しい殺伐さをもった画で、底辺にうごめく生活者を描いた漫画家というふうに思っている。その痛そうな手触りをおぼえている。
売っていた『成り行き』という漫画本を買って、半分ほど読んだ。画はかつての強烈さはないが、人間や社会をみる眼はたしかだ。発行日をみると2015年となっている。
うれしいことだ。
すこし凍っていた。
散歩中にみかけた車。
ジュール・ヴェルヌの小説はおもしろい。
『海底二万里』、『八十日間世界一周』、『十五少年漂流記』と読んできて、この『地底旅行』で4冊目だ。
出版年でいうと『海底二万里』が1870年、『八十日間世界一周』が1873年、『十五少年漂流記』が1888年、『地底旅行』が1864年ということだから、だいたい今から130年~150年くらい前に書かれた小説たちなんだ。
たいした生命力だ。ジュール・ヴェルヌの書いたものを読んでいると<いい時間つぶし>ができる。そういう時間の過ごし方は貴重なもんだ。
デビッド・ボウイが死んだ。
60年代の終わりから70年代の前半までで、ぼくがLPを買ってくりかえし聴いていたのは、サイモンとガーファンクル、マイルス・デイビス、岡林信康、三上寛、友部正人、ジャックス、ドアーズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、ジャニス・ジョップリン、ビートルズ、アル・クーパーといったところで、そのころデビッド・ボウイは視野にはいってこなかった。
聴きだしたのは80年代にはいってからか、でもファンにはならなかった。もう一度聴きだしたのは90年代に出会った下の世代のひとで「デビッド・ボウイ様 生き神様」といった人がいたからだ。ああ、デビッド・ボウイって影響力あるんだなと思った。
どれか一曲というなら「スターマン」だな。あの最初に鳴りはじめるギターの調子を外したようなジャワン~ジャワン~という響きが耳に残っている。
ドナ・ファーリ『自然呼吸法の本』(訳佐藤素子)。
いい文章で、読んでいて落ち着いてくる。カラダの本で、読んでいて落ち着くというのは、これまで読んだ限りでは野口晴哉、片山洋次郎の本くらいだった。
呼吸というものへの考え方がしっかりしている。哲学といっていいものを感じつづけている。
ただ自分でやるトレーニングの方法を本のなかでいろいろ説明しているが、これは整体とか気功とかなにか身体を動かすことをじっさいに体験したことのないふつうの読者が、一人でやるのはむずかしいだろう。
本の半ば以降は、ヨガ用の用具が必要だし(毛布などで代用できるとしているが)、一般向けというよりもヨガをやっている人のための専門書という感じが強くなる。
ヨガ系統の人らしいが、すぐれた人だと思う。
この本は1998年に『自分の息をつかまえるーー自然呼吸法の実践』という名で出版されていて、2011年に『自然呼吸法の本』と変えられてあらためて出版されている。
このタイトルのほうがいい。
書いているのはドナ・ファーリという人。
女の人だろう。プロフィールによるとアメリカに生れて、現在ニュージーランドに住むとある。
呼吸というものへの考え方は日本の整体に似ていると思った。とくに基本的なとらえかたは片山整体とおなじじゃないかと思う。
片山洋次郎の整体は、この『自然呼吸法の本』を読んでいて思ったが、日本的であり、受動性をもっているものだ。ドナ・ファーリのほうは、現代の機械的に忙しい、からだという視点のない思考が支配する社会への批判をひそめながら、からだへの接し方が能動的であり、その能動性が、おもしろいことに近代・現代の社会の西洋医学と通じるものがある。
文句をいいたいところもあって、エクササイズやトレーニングの、いわゆる実技のときの説明がもうすこしわかりやすく、こまかくていいと思う。それとこれは翻訳の関係だとおもうが、文章の意味が通らないところがあるのだ。
タイトルを変えたときに、もういちど編集者や翻訳者がちゃんと目をとおせばよかったのだ。
しかし、よい本にめぐりあえたと思う。いま二回めの三分の二くらいを読んでいるところだが、このまま三回めを読むことになるだろう。新鮮な空気を吸っているような感じがするのだ。
何年か前の正月の笠岡を歩いていても、誰もみかけなかった。歩いている人間がだれもいないのだ。田舎が徹底した車社会になっていることは知っているから、そのせいだろうと思いはしたが、まったく見かけないのでさむざむとした思いだった。
でも今年も、去年も歩いている人をみかけるようになった。
どういうことなのか、タイミングのようなものなのか、それともながれが変わったのだろうか。
子どものころの小学校への通い道のひとつだったし、高校を卒業するまでは、たまにか時々は昇っていたはずだ。
おとなになっても正月いなかに帰ってきたときはあがって行ったこともあるはずだ。
神社のあるちいさな丘のような低い山に5、6年ぶりくらいに昇る。
<神域>という感じをうけた。しみわたるような感覚だった。
暖冬だった。朝晩は冷えたが、日中あるいていると汗がにじんできそうだった。
散歩中。
新宿花園神社。
今年もよろしく。
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