一枚の花
朝の散歩中。
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朝の散歩中。
散歩中。
受水槽。
ユーチューブでいつでも聴けるからと、手元に置いてなかったジョン・コルトレーンの『マイ・フェイヴァリット・シングス』を買った。
手もとに置いておきたくなったのだ。
いまジャズのなかで一番よく聴いている曲で、なんか元気がでてくるのだ。生命力を感じるというか。
ジョン・コルトレーンがソプラノ・サックスとテナー・サックス。
マッコイ・タイナーのピアノ。
スティーヴ・デイヴィスのベース。
エルビィン・ジョーンズのドラム。
という布陣。
曲は、
1 マイ・フェイヴァリット・シングス
2 エヴリタイム・ウイ・セイ・グッドバイ
3 サマータイム
4 バット・ノット・フォー・ミー
の4曲がはいっている。
録音が1960年の10月21日、24日、26日とある。
マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』が1959年の録音だから、このころがジャズの全盛か。
この『マイ・フェイヴァリット・シングス』はたしか『至上の愛』という名がついていたと思うのだが、いまはほかのアルバムにその名がついている。
散歩中。
散歩中。
散歩道。
ベルナルド・ベルトルッチの絢爛たる歴史絵巻。
中国最後の皇帝にして、日本がつくりあげた満州国の傀儡の皇帝でもあった溥儀の滅びの物語。
ジョン・ローン扮する溥儀が、年老いた溥儀が最後、紫禁城からフッときえてしまう場面は、ロマンシズムとセンチメンタリズムの重なったうつくしい場面だ。
ベルトルッチの『暗殺の森』や『1900年』を思いだす。欧米人のみた中国というふうにはおもうけれど、ベルトルッチが好みの題材に手腕を発揮する。
1987年の映画。
テレビではなく映画館で観るべき映画。
近所のどこかで飼われている猫。
ここらへんはこの猫の指定席とでもいうべき所で、人間が通りかかろうが、人に連れられた犬が近づこうが、黙殺する。
図書館の前で待つ犬。
よく吠えていた。
図書館にまだ読んでない、ドン・ウィンズロウの本があったので借りた。
最新刊ではなく、平成11年の発行。
『ボビーZの気怠く優雅な人生』(訳東江一紀)。
整体やヨガの本を読んでいると、リラックスできるが、こういう完全エンターテインメントの本はまた格別だ。
ぼくの愛したインスタントラーメンというとこの日清チキンラーメンと明星チャルメラ(もちろんしょうゆ味。前はしょうゆ味しかなかった)なんだけど、チャルメラのほうは行きつけのスーパーマーケットに置かなくなったので、チキンラーメンだけ続けて食べている。
インスタントラーメンはもう少し減らした方がいいかもしれんなと思ったりするんだが、二日に一回は食べている。
まあ大丈夫だろう。
店で食べてもそうなんだけど、ぼくはラーメンを食べると、なんか元気がでてくるんだよね。
チャーチルの『第二次大戦回顧録 抄』(毎日新聞社編訳)読み終わった。
結局トイレのなかだけで全部読んでしまったような感じになったが、最後のほうで原爆の記述がでてきて、関心をもって読んだ。
アメリカ政府から原爆の実験の成功を聞いたチャーチルは「この恐ろしい研究の情熱を注意していたが、」とか「人類の歴史における恐るべき事件」といったような思いを抱いているから、やはりとてつもない破壊力をもった兵器が開発されたのだとは考えていたのだ。
原爆の使用にかんしては、「この新兵器によって、われわれはこれ以上都市を破壊せず、また敵と味方の生命を同時に救い得ることになった。」と書いている。
沖縄の戦闘のあと、日本の本土に進攻した場合、日本軍の徹底した激しい抵抗が予想されたから、味方も敵も、相当の被害がでるだろうと思っていたわけだ。
また日本軍に無条件降伏を求めたが、それを拒否されたために原爆をつかう計画をたてたとある。
「しかし、これらの条件は、日本軍首脳部によって拒否された。そこでアメリカ空軍は、原子爆弾一個を広島に、さらに一個を長崎に投下する計画を立てた。」
また、こういう記述もある。
「日本の運命が原子爆弾によって決定されたとするのは、誤りであろう。日本の敗北は、すでに原子爆弾投下以前に定まっていたのである。日本に対する破壊的な攻撃は、空と海からつづけられ、分散して内海に難を避けていた日本艦隊の残存艦船は、一隻一隻がねらわれ、七月末には日本海軍は事実上存在しなかった。」
すでに日本の敗北が決定的であったなら、「人類の歴史における恐るべき事件」とでも呼びたいような兵器をつかうことはなかったんじゃないかと思うが、それでも日本が敗北をはっきりと認めるまでには相当の戦闘がおこなわれるだろう、というふうにチャーチルは考えていたわけだ。
ふときれいだった。
散歩中。
もうすぐクリスマス。
詩人のたかぎたかよしさんが今年の9月に亡くなられていた。
ご家族からの喪中のはがきで知った。
ぼくはずっと詩誌のやりとりをしていたけれど、パタッとこなくなったので、体調が悪いのは知っていたから、もしかしてとは思ったけれど、そのあと、詩の雑誌でたかぎさんの名をみることがあったので、体調がわるいながら何とかやっているんだろうなと思っていた。
知らない人もいるだろうと思うので、書いておきます。
ご冥福をお祈りいたします。
朝の散歩中。
11月30日の夕刊で、水木しげるが死んだことを知った。
ここ1年くらいは、奥さんの書いた『ゲゲゲの女房』を読んだとき、どこかでアレッて感じをもってしまい、はっきり覚えてないが、勲章をもらったときのコメントかなんかにひっかかったんだと思う。それはほかで読んだんだろうか。とにかくその後読まなくなった。
長いあいだ、いちばん好きな漫画家だったから、じぶんでも情けない気がするのだが、そう感じてしまっているんだから、しょうがない。
またそのうち読みたくなるだろう。
もともとぼくはあの画とあの調子に強い親近感をもつのだから。
商店街。
ラピュタ阿佐ヶ谷に小津安二郎の『小早川家の秋』を観に行った。
ちいさな映画館だが満員。通路に椅子まで出されていた。
ぼくが観に来た限りでは、こんなに観客がこの映画館に集まったことはない。ほとんどの人のおめあては最近亡くなったと報道された原節子だろう。
じぶんのことをいえば、この映画を観に来ることはもう決めていたのだ。こっちのおめあては小津安二郎。原節子も観たくなったが。
『小早川家の秋』。1961年の小津安二郎の映画。
多彩な女優陣の核になるのは原節子ではなく、新珠三千代だ。
映画にあらわれた原節子は立派なおおきな造りの顔をした女優だなという印象。
監督の小津安二郎は特異な映画の作り手だと観ていておもう。
低い位置にカメラを置いていることを、低い位置から俳優たちをみていることを意識させられる。
そして俳優たちの会話を撮るときのカメラの位置も独特だ。俳優の顔にたいして正面にカメラを置き、まなざしだけカメラの中心のそとにおき、ゆっくりとした会話をゆっくりとしたテンポで映していく。
ふつうの人びとのふつうの暮らしを切りとっている。暮らしのなかの体の動きや会話を切りとる。
日本の家というものを、その造りというものをいろいろな視線で切りとる。
日本のちいさな世界の映像美といえるものが満ちあふれていて、ぼくは観ていてデヴィッド・リーンの大きな風景の世界を思いだした。『アラビアのロレンス』や『ライアンの娘』で風景を大きく、このうえなく美しくおおきく撮ったその映像の世界の対極にあるものとして小津の映像美の世界を観た。
この小さな世界をずっと観つづけていると息が詰まってくるが、その映像のながれをパッと転調させるものとして、映画の流れを変えうるものとして、わき役ではあるが原節子の華やかさと杉村春子のサラッとしたドライな速いセリフ回しがあった。
これは芸術映画ということになるな、芸術映画みたいだな、商業映画というのとはちょっとちがうなと思いつつあったが、中村鴈治郎が扮する京都の道楽者の造り酒屋の主人がパタッと死んでから、映画のながれに動きがでてくる。息がつまっている状態なので、ホッとした。
ここから映画の展開は速くなっていくのだが、川でなにかを洗っているらしい笠知衆や望月優子が出てき、川の音のあまりしない静かな映像のあと、火葬場の煙突から煙がながれていく場面が映り、この映画を観たことがあるのを思いだした。
この映画だと思った。
テレビで観ているときおおきな煙突から煙がながれ、黒い着物の女たちの背筋の伸びたくっきりとした姿があり、カラスの出てくる映像をテレビで、NHKだったと思うが、観たことがあるのだ。用事があって途中で観るのをやめたのかもしれない。小津安二郎の映画ということは知っていて、何という映画を観ていたのだろうと、あたまのどこかに残っていた。
『小早川家の秋』を観ていたのだ。
映画は最後の動きのながれのとき、原節子の姉とやはり中村鴈治郎の娘である司葉子の妹の会話が、橋の上の会話がしずかに淡々と映されるのだが、それが過ぎ、さいごの墓とカラスだけの映像が、おおきく映り、その映像で小津安二郎の映画らしからぬ、強いドラマチックな音楽が流されるのだ。
そして終わる。
あれは何なんだろうと思う。あの音楽はなんだったのだろうと思う。何か意味があるのだろう。
日常の暮らしこそ劇的なものなのだ、日々の暮らしこそ怖れるべきものなのだ、という小津の思想を示したのか。ほかに理由があるのか。そのことをしばらく考えた。
クリスマスの月。
フリーの「オール・ライト・ナウ」。
なつかしいな。
前に寝ているときに湿度が低くなる季節になると、もともとせまい左側の鼻の穴がつまりやすくなり、それで吸う空気量も吐く空気量も充分でなくなってしまい、そのことが眠りを浅くして、身体の緊張をつくり、「不安」感といったものを呼びだしてしまうのではないかと書いたが、そしてその解決策として口呼吸がいいらしいのだが、寝ているとき、どうやって口呼吸にもっていくのかわからないというようなことを書いたと思うのだが、その解決策がみつかった。
鼻孔拡張テープだ。
ヨガ系の人が書いた本を読んでいるときに、このひとが、夜鼻の詰まりやすい人にと、この鼻孔拡張テープをすすめていた。
ぼくは10年以上もまえに、この鼻孔拡張テープをつかったことがある。この鼻孔拡張テープはもともとはアメリカで考えだされたものらしく、ぼくがつかったものは、それに似たものを日本のメーカーが作ったコピー商品だった。
そのときはしばらく使ってみたのだが、鼻孔は開くことは開いたのだが、そのうちノドが痛くなり、だんだん開き方も悪くなってきたようなので使うのをやめたのだ。
成功したという感じがなく、それで、もうこの鼻孔拡張テープは使うまいと思っていた。だからこんども使うのをためらったが、このヨガ系の本を書いている人は日本の整体でいえば、野口晴哉や片山洋次郎のレベルのひとだと思えたので、つかってみることにした。
しかし今回はコピー商品ではなく、本物をつかった。
パッケージに原産国アメリカと表示されている物、おそらくアメリカでつくったものを日本に送って、日本の会社がパッケージを作って売っているというかたちだとおもうが、それをつかうことにした。
鼻孔拡張テープをすすめた人も書いているが、この鼻孔拡張テープは高いのが難点で、一枚で消費税込みだと75円もする。もちろん一晩一枚の使用で、最大でも12時間までにしてくれと、取扱説明書にある。
それを使ってみた。
効く。
寝つきがいい。
この問題はいまのところ解決したといっていい。
使ってみるもんだ。
鼻の穴がよく開いた。三日ほどつづけて鼻孔拡張テープを貼って寝て、三日間ともよく鼻がひらいた。値段が高いことが頭にあったので、四日目は貼るのをやめてみた。鼻の通りはいくぶん悪くなったが、それでも大丈夫だった。
そのあとは鼻の通りの悪そうな夜だけ使うようにしている。それでいけるみたいだ。
いまのところ上々だ。
イルミネーションが灯された。
イギリスの首相だったウィンストン・チャーチルの書いた『第二次大戦回顧録 抄』(毎日新聞社編訳)。
読んでいる本のうちの一つ。
名著のほまれ高い本なので、読んでみようとおもったが、トイレに行ったとき専用という感じになってしまい、まとまった感想がでてこない。
ただ意外だったのはチャーチルは頑固者として有名だったけれど、そんな感じはしないのだ。むしろ人とのていねいな対応が目立つ。貴族だったせいかな(しらべてみたらチャーチル自身は貴族ではなかったみたいだけど、貴族の家系に生まれている)。
まあ現地の指揮官にそこで死ねという手紙をだしたりするけれど。
顔なじみになりつつある。
いつもの猫の指定席で。
ひろびろとした感じがした。
谷保天満宮のにわとり。
木の上に乗っていた。とまっていたというべきか。
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