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2015年11月

2015年11月30日 (月)

マイナンバーくる

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 マイナンバーがやってきた。大丈夫かなあとおもう。

 インターネットのセキュリティはやぶられては、修復し、またやぶられるということがごくあたりまえの状況になっている。

 国は最高のセキュリティをそなえるんだろうが、インターネットの生みの親の、アメリカの政府すじのインターネットのセキュリティさえ、中国の軍のサイバー攻撃にやぶられたりするわけだから、完全なものというのはできないんだろう。

 そして人の手によって操作、管理される以上人為的ミスが常に、また長期にわたってゼロということはありえないだろう。それが人間の人間たるゆえんでもある。

 インターネットによって国がひとりの人間の情報を一元的に管理することには危険がともなう。

 どうしても管理するというなら、ひとりの人間の情報を一か所ではなく、バラけた状態で管理したほうがいいんじゃないか。

 このことでもおもうけれど、科学技術の進歩というのはプラス面だけではなかった。

 紙の上ではというか、科学技術の進歩そのものはいいこことしかいいようがないんだろうが、結局は科学技術をあつかう人間、集団、組織といったものを抜きに語るのは、無理がある。現実の上では無理がある。

 そういうことをぼくらはいろんなことで学ばされているんじゃないか。

 もしインターネットではなく、紙をつかってのものなら、盗まれるにしても何十万、何百万、何千万人の情報を短時間で盗まれるということは起こらないはずだ。

 当分、様子見するしかない。

2015年11月29日 (日)

原節子死す

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 11月26日の朝刊に「原節子さん死去」と大きく載っていて、ちょっと驚いた。

 じぶんで映画館に行くようになったころには、もう原節子は引退していたから、ファンというわけじゃなかった。しかし表情がほかの女優とはちがうものをもつひとだなあと思っていた。

 戦後しばらくのあいだ特別に輝いた存在だったというのは、彼女のもっている表情と雰囲気でよくわかった。

 原節子の出ている映画では山中貞雄の監督した『河内山宗俊』を観ている。16歳くらいの初々しい姿だった。小津安二郎の『東京物語』も観ているし、あと何本かを観ている。

 95歳でなくなったというから、天寿をまっとうしたといっていいだろう。親族に面倒をみてもらいながら敷地内の離れに住んでいて、外に出ることがずっとなかったらしい。

 そのこと自体は人にとっていい環境とはいえないけれど、最晩年は体力的な問題があったろうし、もうひとつ写真週刊誌にパパラッチされたことがあるから、そのことを警戒していたのだろうと思う。徹底していたみたいだから、映像以外のものを撮らさないという女優原節子の選択という感じがある。

2015年11月28日 (土)

一橋大学で

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 水には魅力がある。

2015年11月27日 (金)

黄葉

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 おもわず足がとまった。

2015年11月26日 (木)

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 生活圏にも美しいものがある。

2015年11月25日 (水)

すてられたクマ

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 置いているのかと思ったが、どうも捨ててあるみたいだ。

2015年11月22日 (日)

上野に行く

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 上野はきらいじゃないなと思う。駅をでると息が深くなるのがわかる。

 おめあては東京国立博物館でやっている『始皇帝と大兵馬俑』という催し。

 人は思っていたよりも少なかったが、それでも行列のあいだを自分の速度で出たりはいったりして、自分のリズムをつくるのが精一杯というところだ。

 それでもほんものの、2000年以上前につくられた大兵馬俑は雰囲気がある。ひきつけるものがある。

 東京国立博物館も国立西洋美術館も観に行くのは好きだし、また観に行くことになると思うが、特別展というか、常設展以外はつねに行列のあいだをぬって観るということになるから、じっくり「作品」のまえに立つということができない以上、「感動」するというような体験はできないなと今日おもった。

 始皇帝の墓の雰囲気をだすため、ほんものの大兵馬俑のほかに複製の大兵馬俑を何十体か造っていて、並べてある。そのなかで写真に撮っていいというものが端に置いてあったので、それを写真に撮った。

2015年11月21日 (土)

近所の風景

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 散歩中。

2015年11月20日 (金)

庭の風景

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 団地の倉庫。

2015年11月19日 (木)

ベランダの風景

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 晴れた日。

2015年11月16日 (月)

不安ってなんだろう。不安はどこからくるのだろう。

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 最近、眠りが浅くなって、寝醒めに近づいた状態のときなどに、「不安」といったものを感じることがある。覚えていないが悪夢のようなものをみたのではないかとおもえるときもある。

 強い不安感を感じるときもある。

 それでこの「不安」はなんだろうと考えたりする。

 本棚にある『心的現象論序説』を引っ張りだして開いてみると吉本隆明は、

 「精神が外的現実から感ずる危機に対処しえなくなったときに、人間は<不安>をおぼえる。」といっている。

 いまのぼくには手に負えないような心配事や悩みというのはないから、こういう不安ではなさそうだ。

 机の上に置いてある整体の本『骨盤にきく』を開くと、片山洋次郎は、

 「しかし、不安という感情には根拠がないのです。

 何を根拠に、この得体の知れない空虚感が胸の内に沸き起こるかといったら、いろいろな理由づけはできますが、それは突き詰めていえば、根拠ではない。不安とは身体が生むものだからです。

 これが要因だ、元凶だと思うものがなくなったら、それで安らぎや自信が生まれるかといったらそんなこともない。不安を生む身体は、次から次へと不安の種を見つけ出し、一つ片づいてもまた別のことで心が落ち着かなくなります。

 結局のところ、ある状況で不安やパニックにかられるか、動じずに受け止めることができるかは、その人の身体性にかかっているといっても過言ではありません。不安定で過緊張におかれた身体が理由を引き寄せているのです。」

 とある。自分の状態で気づいているのは、起きるとスッーと「不安」感がきえること。ぼくは鼻曲がりのタチで、左側の鼻の穴がせまくなっている。湿度の低い時期になると左側の鼻がつまりやすくなるのだ。つまり結果として寝ているときの呼吸が充分でなく、呼吸が浅くなっているんじゃないかと思った。

 いびきが原因で、睡眠時無呼吸症候群みたいなことになっているんじゃないかとも考えた。

 それで眠りが浅くなって、半覚半睡の状態のうちでも目覚めにちかくなっているときに、そういう日に、確かめてみたが、左の鼻の穴が完全に詰まっていた。空気が通らない状態になっていた。右側だけの鼻の穴で息をしていた。それで口を開けてみた。口で息をするようにしてみた。いわゆる口呼吸にしたのだ。そうすると息が、呼吸が大きく深くなった。身体がゆったりした感じになった。

 これじゃないかと思った。右の鼻の穴だけで空気を吸っていて、空気量そのものが足らなかったんじゃないか。右の鼻の穴だけで息を吸い、息を吐くという状態だったのだ。この呼吸のあり方が、身体を窮屈にして、「不安」をつくっているんじゃないかと思った。

 これはまだ確かめちゅうで、はっきりこうだというわけじゃないが、問題はこの状態をどう解消するかで、とりあえず口呼吸にするのがいいんじゃないかと思っている。眠っているとき、どうやってそういう状態にすることができるかはまだ思いつかない。

 

2015年11月15日 (日)

武蔵小金井で

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 ひさしぶりに武蔵小金井に行った。

2015年11月14日 (土)

猫のいる場所

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 ここらへんの日あたりのいいところが猫の指定席。

2015年11月13日 (金)

「新幹線大爆破」

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 評判どおりの日本映画にはめずらしい骨太のサスペンス映画。

 東映の制作で監督は佐藤純弥。

 新幹線の速度を80キロ以下にすると新幹線が爆発するという設定がすばらしい。ここでもう成功している。

 原案として加藤阿礼という名が記されているが、小説などの原作があるわけではなく、この映画のために東映が考え出したストーリーなんだろう。よく考えたもんだと思う。

 正確にいうと、太くてモダンでスピーディな展開の骨格に東映的抒情と感傷という筋肉と神経がからまって作品になっている。

 いま観れば東映的抒情と感傷がじゃまになってしまっているが、これは仕方ない。

 リアルタイムに1975年に観た人は衝撃をうけたはずだ。

 これに似たというか、ヒントにしているだろうアメリカ映画を2本は観ている。

 『新幹線大爆破』には当時のスター俳優がたくさんでている。オールスターキャストというんだろう。

 ただこんなに髪の長い刑事や国鉄の運転手がそんなにたくさんいるわけないよなと観ていて思う。職業にふさわしい髪形とかを俳優が考えていないのがはっきりわかってしまう。

 そのへんはかなりアバウトだ。

 俳優たちも70年代を代表するような映画の一本になるとは思わなかったんだろう。

2015年11月12日 (木)

朝の風景

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 散歩中。

2015年11月11日 (水)

祭りの風景

 

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 地元の市、大学、商工会青年部などが協力してやる地元のお祭り。

 いちばんインパクトがあったのは、「踊る人」。

 舞踏系の人だと思うが、ちゃんと生のバンドの音楽で踊っていた。

 身体そのものの無意識的な動きにそって、それを踊りにするというよりも、あるテーマをもって、それに向かって踊るというかたちだった。

 

2015年11月10日 (火)

花のある風景

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 散歩中。

2015年11月 8日 (日)

「ひょうたん」57号

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 『ひょうたん』57号ができました。

 ぼくは「退職」という詩を書いています。

 57号に書いているのは、

 岡島弘子、布村浩一、中口秀樹、絹川早苗、相沢育男、柏木義高、村野美優、阿蘇豊、森ミキエ、小原宏延、後藤順、睦ゆみこ、水嶋きょうこ、藤本真理子です。

 発行/ひょうたん倶楽部。編集・制作/相沢育男。装画/相沢律子。定価400円。

 なお長田典子さんが〈ひょうたん〉を退会されました。今後のご活躍をお祈りいたします。

 ぼくは前は、クロネコヤマトのメール便で、いっせいに送っていたんですが、その形のものがなくなったので、いまは郵便局の定型外郵便でゆっくりのんびりと送っています。

           ○           ○

 ぼくはカラダ的にはいろいろ試みてまして、半身浴をはじめました。

 前もやっていたけれど、今回はある程度はしらべてやっています。

 ふつう半身浴はみぞおちまでのお湯の水位となっていますが、ぼくはいまのところ、みぞおちよりちょっと上にしています。みぞおちまでだとちょっと心細いというか、身体がそんな感じになります。

 それで5分間ほどお湯のなかにいます。その間、肩が寒いので手ですくってお湯を両方の肩にひんぱんにかけます。お湯の設定は40℃。シャワーも40℃に設定しています。

 それから身体を洗います。

 身体を洗い終わったら、また風呂のなかにはいり、こんどは10分間ほど風呂のなかにいます。今度は肩にお湯で温めたタオルをかけます。タオルが冷えたら、ちょっと間をおきながら、風呂のお湯で温めて肩にかけるということをくり返します。

 それで最初風呂に入ったときから水をちょびちょびという感じでひんぱんに飲んでいます。ペットボトルに水をいれて風呂にもってきています。ぼくは若干の塩をいれるようにしています。

 これをやると汗がでます。

 風呂からでるとバスタオルで身体をしっかりふきます。エアコンで部屋を暖めている場合は、身体にエアコンから吹き出した風があたらないようにします。

 それで身体をふき切ったら、服を着て暖かくしています。

 半身浴はあきらかに身体の負担は軽くなります。これは本当です。そして身体の温まりも長くもつように思います。

 ぼくが半身浴をはじめたのは、ほとんどバタンキューといっていいほど、寝つきのよかったぼくが、寝つくのにちょっと時間がかかるといったことがでてきたからです。

 睡眠は重要だとおもう。

 人間の身体にとって大切なことは、食べる、動く、寝るで、睡眠は人間の健康のポイントだと思う。

 ぼくは五十肩をやってから肩に問題があって、もう今は可動域ももどっていて、痛みもふだんはないのだけれど、腕立て伏せなんかやると痛みがでてくる。それで風呂に入ったときは、肩ちかくまでお湯に入るようにしていた。

 それで今回の半身浴もどうしようかと迷った。

 肩か睡眠かということで考えたけど、やはり優先順位からすると睡眠だろうと決めた。

 それで半身浴をやりはじめてから、寝つきは改善されつつあります。試行錯誤中だけれど、いまのところ上手くいっている。

 ぼくは心と身体はイコールだとは思っていないけれど、心は身体から生まれてくるのだろうとは思うようになりつつあります。

 では、寒さにむけて身体と環境を準備していきましょう。

 

 

 

2015年11月 7日 (土)

朝の風景

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 散歩中。

2015年11月 2日 (月)

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」

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 渋谷の「シアター・イメージフォーラム」に『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』を観に行った。

 ドキュメンタリー映画だ。

 新聞に載っていた映画紹介兼映画批評を読んで、気持ちを引っ張られたのだ。その映画批評は魅力的なもので、かんたんにいえば、自分の作品をついに公表することなく、求道者的に生きた無名の女性写真家が、死後、偶然から写真が発見され、ネットや写真展で多くの人びとの注目と称賛を受けるようになり、世の中に認められるようになったというような話で、このドキュメンタリー映画をだいたいそんなふうに紹介していて、それにそそられたのだ。

 それとネットでいろんな所を見てまわっていると、結構あちこちで『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』の広告が載っていて、金つかってるんだな、元とれるんだろうか、ネットの宣伝費は意外と安いのだろうかなんて考えたこともある。

 混んでたらいけないとおもって、わざわざ平日に観に行った。

 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』

 これは文字通りヴィヴィアン・マイヤーという女性を、写真家を、探しつづける映画なのだ。

 どういう人で、女性で、どんな生活をしていたのか、どこで暮らしていたのか、どういう写真家であったのかをひたすら探しまわるドキュメンタリーで、この映画を作ったのは、偶然ヴィヴィアン・マイヤーの写真のネガを、未現像のフィルムを、骨董・古物マーケットでみつけた当の人であるジョン・マルーフだ。

 この若者が、発見しそしてこの謎の写真家を世にしらしめようと、映画づくりにまで奔走するのだ。

 このジョン・マルーフがいなければ、ヴィヴィアン・マイヤーのすべてが、写真も、生も、その人物像も世の中に流通することなく、知られることはなく、消えていっただろう。まったくひとりの表現者には一人の理解者が必要なんだ。

 公式サイトには監督兼プロデューサーというかたちでジョン・マルーフが記されているけれども、もう一人チャーリー・シスケルという人物も記されている。これはたぶん映画を作った経験のないジョン・マルーフが経験のあるチャーリー・シスケルに協力をあおいだということなんだろう。

 『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』はジョン・マルーフが骨董・古物市場でヴィヴィアン・マイヤーの遺したネガやフィルムのはいった箱を安い金で競り落とすところから始まり、ネガに映っている写真に興味を持ちはじめ、そしてこの膨大な量の写真を撮り、遺したヴィヴィアン・マイヤーという女性はいったいどんな人なんだと動き始める姿を順に追っていく。そして徐々にヴィヴィアン・マイヤーという女性像を浮かび上がらせていく。けっこう生々しいヴィヴィアン・マイヤーという女性の像が浮かびあがってくるのだ。

 ヴィヴィアン・マイヤーには孤独ということがつきまとっている。写真しかないような感じだ。どうして作品を発表しなかったんだろうと思う。

 仕事は乳母を選んでいる。これはアメリカの社会では需要のあるはっきりとした職業のようだ。

 子どもに乳をあたえるということではなく、ちいさな子どもをその子の親とともに、父親や母親がいそがしいときは代わりにという感じで、子どもを一緒に育てていく。当然住みこみの仕事になる。

 時間がわりあい自由になるというのが乳母の仕事を選んだ大きな理由のようだ。写真を撮りたかったのだ。子どもを連れて、外に散歩に行けたし、カメラをもって子どもたちとともに出かけて行くことができるのだ。

 ひとりのときにせよ、子どもたちと出かけるときにせよ、外に出るときはカメラを必ず持って出かけたようだ。

 写真家という自覚をはっきりもっていたのだ。

 なぜ発表しなかったのだろう。

 これにかんしては映画に登場するツルッパゲの写真家がみごとに解説している。

 ツルッパゲの写真家は、ヴィヴィアン・マイヤーが写真展を開かなかったのは、やらなかったのは性格のためだという。ヴィヴィアン・マイヤーの最後のひと押しができない性格のためなのだという(ヴィヴィアン・マイヤーは1926年に生れて、2009年に亡くなっている。性格ももちろんあるだろうが、古い時代のひとでもあるのだ)。

 それでも写真を撮りつづけたのは被写体である街の人間たちとコミュニケートする機会をもつ写真でもあったからだという。

 つまり街の人間にヴィヴィアン・マイヤーはカメラを持って近づく、ある緊張感がうまれようとするが近づく、被写体が、街の人間が拒絶反応をおこす直前の距離までちかづく、そこで停まる。彼女はその距離を心得ているのだという。

 ツルッパゲの写真家はそういうようなことを言っていて、なるほどなあ、ダテにハゲているわけではないのだなあ、と特に彼女の孤独はそういう写真を撮ることをうながしたと言っているわけで、それが写真を撮りつづけるエネルギーになっていたのだといっているわけで、そのことに納得し感心した。

 いやさすがだな、答えをもらってしまったと思った。

 しかし観終わって帰りの電車のなかで吊り革につかまっているときに、渋谷駅から山手線の電車に乗って、吊り革に身体をもたせてしばらくたったとき、ヴィヴィアン・マイヤーの写真は「人間を風景のように撮っている」という印象が浮かびあがってきた。

 これはどうかんがえたらいいのだろう。

 思い出すと、たしかに対象とコミュニケートしているような写真もあったように思うが、しかし街の人間を風景のように撮っている写真もあったと思うのだ。

 対象と関係をつくっているような写真もあるが、風景のように撮っている写真もある。

 観終わった全部の印象でいえば、ヴィヴィアン・マイヤーはひとつのある状態でのみ写真を撮っていたのではないのかもしれない。

 発表しなかったことでいえば、写真展を開いて人にみせることも考えていたようにとれるところもあったから、時期が、あるいは季節というものがあったのかもしれない。

 発表することなど考えていない、写真を撮ることだけを考えていた時代。

 発表することが必要だと考えた時代。人に見てもらいたいと思った時代。

 世の中に認められたいと思った時代。

 世の中に認められることが必要だと思った時代。

 いくつかのプロセスをもっているんじゃないか。

 人を風景のように撮ったのは何故だろう。人と関係をつくっている写真と、そうではなく風景のように撮った写真があるのは何故だろう。

 それは一直線のなかのはっきり分かれた、前と後のような時代なんだろうか。それとも同在してあったことなんだろうか。

 かんたんなことをいえば、街の生きている人間にちかづくのがむずかしかったときもあったろう。相手は生きている人間だ。赤の他人が、カメラをもって突然あらわれ、ちかづいてくるのだから。用心はする。

 現在のアメリカや日本の社会は管理社会といっていい。その社会よりも人との関係がゆるかった時代、そういう時代に多くの写真を撮っているから、今よりも撮りやすかっただろうが。

 同在していたのか、分かれていたのか思いつかない。

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 それからぼくは家で、インターネットで「ヴィヴィアン・マイヤーの写真」を検索し、ヴィヴィアン・マイヤーの写真をもう一度みてみた。

 いちおう見れるだけみて思ったのは、対象次第だったのだろうかということだ。これは新しい答えだ。

 同じ時期に対象との距離が遠いのと、近いのとが同居しているんじゃないか。対象の人間との「関係」が成立するか、しないかは文字通り対象次第だったのではないか。街次第、相手次第だったのではないか。

 そのときのヴィヴィアン・マイヤーも含む「街の状態」だったのではないか。

 基本的に街の人間のスケッチで、その「関係」は対象次第ということだったんじゃないか。そんなふうにおもえる。

 これがぼくのネットに載っている写真をいちおう見れる範囲でみたことの結論だ。

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 晩年のヴィヴィアン・マイヤーがよくすわっていたというベンチをおもいだす。

 ヴィヴィアン・マイヤーは最後まで写真を撮っていたのだろうか。

 生涯写真を撮りつづけたのだろうか。

 その海か湖の前にあるベンチに一日中といったような状態ですわっていたらしい。

 近所に住んでいた人間がそう証言している。

 映画のなかで、そのとき彼女がカメラを手にしていたという話がでてこなかったのが気になる。

 最後は写真を撮ることをやめてしまっていたのだろうか。やめているなら、悲惨だ。

 写真を撮るということをあきらかに選択したひとが写真を撮るということをやめたのだ。

 なにかが彼女のなかで終わってしまったということだと思える。

 終わったんだろうか。

 それとも年取った人が多少ボケて、写真を撮ることもできなくなったということなんだろうか。

 どうなんだろう。

 

 

2015年11月 1日 (日)

近所の風景

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 広場に生えている木。

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