小林秀雄「学生との対話」
小林秀雄はくり返し自身の身体性をとおして考えること、感じること、現実の場で具体的に感じ考えて動いて、その場を切り抜けた体験をたいせつにすること。そこで得たものが最も価値ある<知>であることを、くり返しくり返し、ほとんどそのことだけを説いたようにもみえるほどだけれど、そのような小林秀雄にこの本でも出会うわけだけれども、この講演というか、講義に参加した人があとがきにも書いていて、その講義の様子も書いていて、小林秀雄という人は同時代の読者にとってはどういう存在なんだろうと思った。
そのような小林秀雄であれば、読み手たちはおのずと、みずからの足で立とうとする方向をもつものたちだと思うのだけれど、風通しのいい関係がみえてもよさそうだと思ったのだけれど、それにしては参加者たちは小林秀雄にたいして、恐縮しすぎているようにみえる。
どういうことなんだろう。全国学生青年合宿教室と名打たれたところの講義ということだから、泊りがけで九州でおこなわれた講義を聞きにいくわけだから、通常の講演とはちがうものになるのはわかるが。
1961年から1978年にかけての講義ということだから、1960年代のはじめごろというのはそういう仰ぎ見るような、上下関係的な雰囲気が文化的にあった時代なんだろうか。それがずっと続いた集まりということだろうか。
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