大学通りで
大学通りにある店。
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大学通りにある店。
郵便局の朝顔。
よっぽど気持ちがいいらしく、近づいていってもからだの向きを変えるだけで、動こうとはしなかった。
長い道。
ぼくの生涯映画ベスト3に入れたいのが、ヴィム・ベンダースの『パリ、テキサス』。
大好きな映画だ。
ライ・クーダーの音楽が映画とぴったりだった。
最初みたのはテレビでだけれど、観ていて、こわばった心が溶けていくような思いがした。
朝の散歩中。
ぼくはビートルズよりも、ローリング・ストーンズのファンだったけれども、いま2015年、ミック・ジャガーについてなにかもっと知りたいという気持ちはないな。いま70歳くらいになっているはずのミック・ジャガーのライブコンサートでの動きはすごいとしかいいようがなくて、感動さえしてしまうが、その精神の内部をのぞきこんでみようという気にはならない。
もうだいたい分かってしまっていて、ミック・ジャガーその人は意外と平板なひとだったのだ。しかし、まだ関心の残っているひとがいる。ビートルズの中心人物だったジョン・レノンになら興味がある。興味がのこっている。
ジョン・レノンはなにを考えていたんだろう。なにを思っていたんだろうとおもう。
ということで午後の図書館の背の高い本棚のあいだを歩いていて、ミック・ジャガーについての本が目にはいるが足はとまらない。しかしジョン・レノンの本の前では足がとまった。手が伸びる。なになにジョン・レノンのインタビュー本だって、結構じゃないか。ジョン・レノン本人がしゃべっているのか。それはいいね。ジョン・レノン本人の考えがわかるわけだ。ということで、『レノン・リメンバーズ』という本を手にもって図書館の受付に向かった。
『レノン・リメンバーズ』
表紙にジョン・レノンの顔が大きく映っている。ひげを生やし、めがねをかけている。ビートルズをやめたあとのジョン・レノンだと思う。
訳は片岡義男、インタビューしているのは『ローリング・ストーン』誌のヤーン・ウェナー。
ジョン・レノンのインタビュー本だとおもって読んでいると、インタビューにオノ・ヨーコが突然はいりこんでくる。一度だけではない、たびたびはいってくる。ジャマだなあと思うが、この設定というか枠組みははずせないのだろう。
二人でひとつというか、オノ・ヨーコというのは変な日本人で、変な感じだなというのが1970年代はじめごろの印象で、レノンとヨーコのベッド・インして平和を訴えるという活動は最初マスコミで知ったとき、なにバカなことやっているんだろうと思った。
ジョン・レノンはヨレヨレというか、フラフラというかメロメロな状態にみえる。精神不安定な感じもする。そばに人がいたほうがいいような状態ではあるのかもしれない。1970年頃のインタビューのような感じだ(1970年の12月にインタビューをおこなったとヤーン・ウェナーが書いている)。
ビートルズのなかのイザコザと解散についていろいろしゃべっている。LSD体験のこともあけすけにしゃべる。映画『ア・ハード・デイズ・ナイト』についてもしゃべる。ジョン・レノンは率直だ。告白のように率直だ。
ジョン・レノンの影響を受けた人たちは幸運だったといえる。レノンのようにヨロヨロしてフラフラしてメロメロで、率直で、突飛で、まちがったことも、極端なこともする人ならば、これはちがうんじゃないかとか、おれはちょっとちがうなとか、どういう人なんだろうと思ったり、おれならこうするなということに、割合早くたどりつけたんじゃないかと思う。
当時の友だちの部屋にレノンの大きなポスターが貼ってあって、壁だったと思う。あるいは吊るしていたのか。
「変われ 変われ 変わることこそ正しい」といった言葉がポスターにあった。ぼくはその前に立って、これをどう考えればいいのだろうという感じだった。キョーカンできなかったのだ。
いまおもえばジョン・レノンのものすごいファンだったら、ちがう人生をあゆんできたんじゃないかと思ったりする。
硬い、しゃちほこばった語り口だけれども、これは翻訳のせいでこうなっているのではなく、実際にこんな感じだったんだろうか。翻訳のことが何度も気になる。
ロックンロールについてジョン・レノンがしゃべっている。ここはすごくいいな。長すぎて引用できないけれどもジョン・レノンはすごいとおもう。
知的で、シンプルで、思慮深い。
あちこちフラフラとさまよい歩いて、頭をぶつけ、ゲロをはき、ひきかえし、ちがう入口に踏みこんだり、迷ったり、ずいぶんまちがったこともやって、じぶんで考えることを始めた人なんだろう。じぶんの言葉をみつけだした人なんだろう。
すっかり感心してしまった後になるが、せっかくジョン・レノンはすごいなと思っていたのに、ジョン・レノンの印象は固まったのに、ポール・マッカートニーの悪口を、ヨーコといっしょに長々と話されるところを読んでしまうと、しらじらとした気持ちになってしまう。
ビートルズを特別おおきな存在にするのに功績のあったマネージャーのブライアン・エプスタインが死んだ後、ビートルズのマネージメントをだれにまかせるかで、ビートルズ内部でいろいろもめたらしい。当然重要な問題だから熱くなるだろうし、それまでたまっていた不協和音がふきだしたんだろうが。
ひとりで批難すればいいのに、ふたりでやるからいい感じにならない。ビートルズの音楽活動の終わりに向かっていたころはほんとうにグループとしてはひどい状態だったんだなということはわかる。
でもジョン・レノンは正直といえば正直だ。
ぼくはジョン・レノンが独立したあとに出したLP『ジョンの魂』のなかにある「ゴッド」という歌が好きだった。歌詞がものすごくよかった。
このLPは鐘の音から始まっているはずで、ビートルズが終わったあとの、一人になったジョン・レノンが出したアルバムのなかではいちばん好きなものだ。特別な感じがある。
太宰治の『人間失格』とおなじで、いちどで充分というか、くりかえし聴くにはとてもヘビーなものだけど、この『ジョンの魂』の感じはずっと長く覚えていた。
しかしジョン・レノンはぼくにとって特別な存在というわけではなかった。つねに動静が気になっていたというのではない。
ジョン・レノンが死んだときも、驚きはしたろうが、そんなショックというほどではなかったように思う。でも当時のぼくの友だちにはジョン・レノンのファンがいて、ラジオでジョン・レノンの死のことが放送されたとき、ちょうどそのとき車を運転していて、驚きで交通事故を起こしてしまった人がいる。車がひっくり返ってしまうような事故で、死の一歩手前までいってしまったらしい。
あれから長い時間が経った。
1980年にジョン・レノンは死んでしまった。銃で撃たれたのだ。
ジョン・レノンがこのインタビューを受けてから10年後のことだ。
散歩中。
散歩中。
部屋の中から。.
立川の自転車置き場。
ローリング・ストーンズの「Love In Vain 」の元歌がロバート・ジョンソンの「Love In Vain Blues」だとは知らなかった。
ミック・ジャガーは元歌を生かして歌っている。タイトルがちがうだけで、ロバート・ジョンソンの「Love In Vain Blues」のストーンズ版、ロック・ブルース版という感じだ。ロバート・ジョンソンはギター1本でもっと軽いかんじで歌っている。
この人は悪魔に魂を売って、ひきかえにギターを弾くワザを手に入れたという伝説のブルースマンだ。
ものすごいことするもんだね。
散歩中。
唐十郎の描いてきた世界というのは、世の中の最底辺のくら闇の世界で這いずりまわり、転げまわる男たち女たちの世界といえる。
男たちや女たちは泥に足をとられながらもそんな世界からの脱出や飛躍をこころみる。なかには最底辺の世界を、地底のような世界を、希望の死んだ世界を、一瞬のうちに妄想や夢の王国に変えようとたくらむ者たちもでてくる。
<眼をとじて開ければすべてが変わっている。そんなふうにならないものか>
しかしかれらは本当にこの泥の世界から逃げ出そうとしているのか、逃げ出したいのか。じつは逃げ出そうとしていないのではないか。
唐組・第56回公演『鯨(げい)リチャード』
作・唐十郎。演出・久保井研+唐十郎。
最初にぬーっと突き出される気田睦の腕のひじから先が見事にきたえられていて、なんの仕事をしてるんだろう、肉体労働者なのか、ジムに通っているんだろうかと想像させる。
その気田睦が演じるのはせむしのイングランド王リチャード三世の名をもつ新宿の鯨カツ定食屋の女将なのだ。この女将は鯨カツ屋だけでは食べていけず、なにやらほかの仕事もやっていそうなのだ。
気田睦の女将のいつもはいているよれよれの白いステテコがなんかとてもおかしいのだ。
唐組の舞台で常に中央に立っていた稲荷卓央がこの舞台には出ていない。代わって中央に立つのは唐組の若手俳優福本雄樹だ。
福本雄樹は熱演だが前半の舞台では気田睦の細部までのうまさと安定感が際立っている。
クジラの油がこびりついている汚れた鯨カツ屋を中心に動きまわる、新宿の地底に住むような登場人物たちはそれぞれの立場の言葉を所有している。もっている。しかしかれらは言葉の意味を投げ合っているわけではない。
声の調子と響きといきおいを投げ合っている。
意味ではなく声の共鳴と統一と交差が新宿の地下の世界の天井と道路と泥に響きわたる。そのこだまが飛び交う。
この下水道のようなひかりの差さない世界からかれらは走り去りたいのか、とどまりたいのか、脱出口をみつけたいのか、みつけたくないのか。
この地下通路の世界を破壊したいのか、ひっくりかえしたいのか、うつくしく飾りつけたいのか。
唐十郎の影しかみえない劇団のその跡に久保井研がしっかりと立っていて、唐組としてのおさまりがよくなっている。けっこう長く観てきたものとしてはこれでいいんじゃないかと思う。劇団としての落ち着きが出てきている。
テンポをはずしながら出てきて、あっというまに自分の間合いの舞台にする辻孝彦はやっぱりおもしろくて味のある役者だと思ったし、岩戸秀年はつかみどころのない不気味さと気味悪さが同居する。
次の舞台もやっぱり観に来たいと思ったのだ。
小林秀雄はくり返し自身の身体性をとおして考えること、感じること、現実の場で具体的に感じ考えて動いて、その場を切り抜けた体験をたいせつにすること。そこで得たものが最も価値ある<知>であることを、くり返しくり返し、ほとんどそのことだけを説いたようにもみえるほどだけれど、そのような小林秀雄にこの本でも出会うわけだけれども、この講演というか、講義に参加した人があとがきにも書いていて、その講義の様子も書いていて、小林秀雄という人は同時代の読者にとってはどういう存在なんだろうと思った。
そのような小林秀雄であれば、読み手たちはおのずと、みずからの足で立とうとする方向をもつものたちだと思うのだけれど、風通しのいい関係がみえてもよさそうだと思ったのだけれど、それにしては参加者たちは小林秀雄にたいして、恐縮しすぎているようにみえる。
どういうことなんだろう。全国学生青年合宿教室と名打たれたところの講義ということだから、泊りがけで九州でおこなわれた講義を聞きにいくわけだから、通常の講演とはちがうものになるのはわかるが。
1961年から1978年にかけての講義ということだから、1960年代のはじめごろというのはそういう仰ぎ見るような、上下関係的な雰囲気が文化的にあった時代なんだろうか。それがずっと続いた集まりということだろうか。
ごみ集積場をえさ場にしているカラス。
2羽いて、網の下のごみ袋をひっぱりだし、つついてごみを散乱させる。燃えるごみの日はつねにごみ場が滅茶苦茶になっている。
燃えないごみの日でも食い物がはいっているとみれば、ごみ袋をひっぱりだし、やぶる。
悪ガラス。獲物をとって生きているのではなく、ごみ集積場の食い物で生きてるんじゃないかな。
大学通りの歩道をあるく。
2012年いらいの公演。2階席ではじめて観た。
最初観たのが青山劇場のはずで、それ以来よく観るようになって、ぼくには親しんだ芝居というか演劇というか、舞台となった。
ほかに決まって観る芝居というのが唐十郎の唐組の芝居だけなので、都心の大きな劇場に行くのは、行く機会があるのはこの『ラ・マンチャの男』をやる帝国劇場だけになってしまった。
最初観たときは三重の塔のような重構造の演劇に魅力と衝撃を受けたと思う。全体像が一挙にはつかめず、けわしくも難しくもあった舞台だったと思う。
そのときに比べるとエンターテイメント性はぐっと前面に出てきている。
松本幸四郎の歌がよかった。よく聴こえた。アルドンサが歌う<あの人はどうして~♪>とうたう歌はやはりみずみずしい。
『ラ・マンチャの男』というのは音楽がいい舞台なんだなとあらためて思った。クライマックスの飛翔感は抑えているという印象だ。
相手役のアルドンサなどかなり役者が新しくなっている。
コーヒーを飲みに行くところ。
散歩中。
影響を受けた吉本隆明の本を読み返しているが、影響を受けたもののうち、まだ手元に置いてあるものを読み返しているのだが、この『源実朝』が最後になるようだ。
『最後の親鸞』と『喩としてのマルコ伝』(だったとおもうのだが、表紙の絵が浮かんでくるのだが、しらべてみると『喩としての聖書 マルコ伝』らしいのだが)は捨ててしまった。それはそのときの切羽詰まった行為だから、選択だから、そのことはもうそれでいい。
散歩中。
吉本隆明の『心的現象論序説』を読んでいるとき、フロイトがいたか、いなかったかでは、フロイトの「無意識の発見」があったか、なかったかでは、今のぼくたちの生活はまったくちがうものになっていたのではないかと思った。それで近代の古典というものに興味をもちだして、ダーウィンの『種の起源』を買ったり、フロイトの家で長く家政婦をしていた女性に取材をして、その女性の伝記でありながら、同時にフロイト家の伝記にもなっている『フロイト家の日常生活』という本を図書館に出かけて読んだりしている。
『種の起源』は学術論文という感じで、まさに学術論文なんだろうけど、改行のとても少ない、文章の長いつらなりというかんじのもので、こういうものなんだなと思いながら読んでいる。ものすごいことを書いているといったものじゃない。
あんまり部数は多くなかっただろうし、地味といえば地味で、こういうものが大きな影響をもつようになるというのは、注目するシステムというのか、学界というのか、そういうのがしっかりしていたんだなというのが、読みはじめに思ったことだ。
ずいぶんひさしぶりにビリー・ホリデイを聴いた。
いままではまとめて3、4杯ぶんのコーヒーをつくっていたが、一杯ずつつくることにした。朝だけ飲むことが多い。
不思議なもんで、コーヒーはからだに悪いものではないということが言われだしてから、前よりもおいしく飲める。
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