「ビリー・ワイルダー自作自伝」を読む
ヘルムート・カラゼクという人がビリー・ワイルダーに長時間くり返し取材をして、それを基にして書いた『ビリー・ワイルダー自作自伝』(訳・瀬川祐司)を借りた。
図書館で借りたとき、どうだろう、これでいいんだろうかと思ったが、拾いものというか、よくできたビリー・ワイルダーの本だった。
この本には2枚の貸出票がはさんだままになっていて、2003年と2010年のものだった。2003年以来たぶんぼくが3人目の借り手となった。
オーストリアに生まれたユダヤ人であり、のちにアメリカに亡命することになるビリー・ワイルダーは自身の生涯をよく語っている。ヘルムート・カラゼクという人物をよほど信用したのか。気が合ったのか。
少年時代にアメリカに亡命したのだと何かで読んだように思っていたが、そうではなく、ビリー・ワイルダーはアメリカに亡命したときはすでに脚本を書いている青年であり、監督も経験していた。1933年12月に、27才でアメリカに渡っている。(1934年に渡ったという記述もある)。
『ビリー・ワイルダー自作自伝』に出てくるナチスドイツに追われて亡命した人びとの話はいろんなエピソードがあって興味深い。ドイツのスターだったマルレーネ・ディートリヒ(マレーネ・ディートリッヒとは呼んでない)なんかの話がそうだ。ドイツのナチス政権は亡命したマルレーネ・ディートリヒを呼び戻そうといろいろ動いていたらしい。
そして亡命した人間、自分の国を捨てざるえなかった者たちはどうしても、あいまいな輪郭のぼやけたような光と闇を抱えてしまうものらしく、その背がみえるようで印象に残る。
キャロル・キングの自伝もそうだったが、このビリー・ワイルダーの事実上の自伝も長い。図書館で借りれば当然返す期限というものがあるから、ぼくは並行してほかの本を読んでいることもあって、期限に間に合うだろうかとぶ厚い本をみて思ってしまう。ぶ厚すぎていくら読んでもあんまりすすんでないようにみえる。しかしこの『ビリー・ワイルダー自作自伝』には映画の歴史がつまっている。ビリー・ワイルダーお気に入りの監督はやはりドイツからアメリカに移ってきたエルンスト・ルビッチという監督だ。グレタ・ガルボが出ている『ニノチカ』という映画を撮っている。
モンローとエリア・カザンのエピソードは本当だろうか。『エデンの東』を観たぼくには、エリア・カザンはとてもまじめな人に思えるが・・・、まあ、どっちにしてもこういうシモネタを読むのは面白くはある。
『サンセット大通り』でビリー・ワイルダーの名前を覚えてから、ビリー・ワイルダーの作品というものを意識するようになった。ぼくがいちばん好きなのは『アパートの鍵貸します』だ。テレビで観ただけだけれども、とてもいい感じで残っている。この映画を観てから、ビリー・ワイルダーは特別な監督のひとりになったのだ。シャーリー・マクレーンが魅力いっぱいだった。
そして『アパートの鍵貸します』は1960年の映画だが、そのまえ1940年代の前半、日本とアメリカが戦争をしていた頃、ワイルダーの話にはほとんど戦争の話がでてこないのだ。映画、映画、映画なのだ。
ヒトラーの脅威のため亡命したユダヤ人としては当然アメリカの戦争に肯定的だったろうが、そうだとしても窮屈な感じがないのだ。日本は映画も何も戦争一色だったろうから、国の広がりというか、許容力の強さ、底ぢからのちがいというものを感じる。
それとビリー・ワイルダーのちょっと驚いたチャップリンへの批判から思うことは、亡命した人間として、危うく難を逃れた人間として、じぶんの命を助けてくれた国がもつ、アメリカがもつ、主流とする政治的な価値観から離れることを避けようとする心理が、ビリー・ワイルダーには働いていたんじゃないかとおもう。
無声映画時代のチャップリンを高く評価し、トーキーでのチャップリンを認めない。チャップリンのしゃべる映画には『独裁者』、『殺人狂時代』という名作があるのだ。このへんはよくわからないな。
読んでいくとビリー・ワイルダーは戦争が終わったすぐあとのドイツに行って、軍によるドイツの文化的な教育という、アメリカ軍のおこなったドイツ民主化政策の、映画部門の責任ある地位について、いろいろアメリカ軍に進言している。反ナチ、反ファッシズムではあるがプロパガンダ映画を作ろうとしている。生粋の映画人ワイルダーのイメージがあるからびっくりするが、そういう一面もあったのだ。
愛国者であり、ハリウッドの成功した業界人という面もあったのだ。それにヒトラーの率いたドイツというのは到底許すことのできない相手だったろう。(母親と継父と祖母をアウシュヴィッツで殺されている)。ストレートなもの言いはまずしないワイルダーだから、そんな印象をもたせないのだけれども、やはり憎しみはあっただろう。
そしてアメリカに吹き荒れたマッカーシズムのピークの時代がやってくる。ビリー・ワイルダーはどうしたんだろう、どうふるまったんだろうと、どきどきして読んだけれども、非米活動委員会への協力はしていない。アメリカの多くの映画人を巻き込んだマッカーシズムとは一線を画している。ホッとする。ハリウッドの映画監督のなかでは数少ない振る舞いだったともある。
ヘルムート・カラゼクはだんだんとワイルダーの崇拝者のようになっていて、ここのところでの距離感はどうだったんだろうと、思ったりもするが、読んでてよかったとも思うのだ。このとおりであってほしい。
そうするとドイツに行き、軍に協力しておこなったドイツの再教育という活動、二度とナチスが表に出てこないようにするという「文化的な再教育」、映画の検閲もやり、あるべき映画製作の提案などもやった活動というのはビリー・ワイルダーにとって突出した行動のようにおもえてくる。この時期のワイルダーは人生のなかでいちばん映画と政治が近づいたときじゃないのか。政治的といえば、いちばん政治的なところにいたようにおもう。
『ビリー・ワイルダー自作自伝』がおそろしくぶ厚い本になったのは(二段組みで、617ページある。あとは訳者あとがきが少し)、この本を書いているヘルムート・カラゼクがビリー・ワイルダーのファンであり深い敬意をもっているからだろう。ヘルムート・カラゼクはビリー・ワイルダーのことをなるべくもれなく、多くのことを書きたかったんだ。ビリー・ワイルダーはこの男ならちゃんとした本になるとわかっていたんだ。たぶん『ビリー・ワイルダー自作自伝』はビリー・ワイルダーの最高の伝記になっている。
つぎもなるべく明るい本を、図書館から借りるときは選ぼうと、読み終わったときおもった。なんて長い本だったのだろうともおもったけれど。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.29)
- アガサ・クリスティー「死が最後にやってくる」(訳 加島祥造)(2023.05.13)
- 「歩く」(2023.05.12)
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.11)
- 奥野健男「日本文学史 近代から現代へ」読み終わる(2023.05.01)
コメント