「心的現象論序説」を読み返す
長く難解で哲学的なものというのはアレルギー的に避けてきたが、長い時間を経て、また読みたくなった。
そういう本を読んでよく飲み込めるとはいえないが、そういう頭の使い方をしたくなっているのだ。そういう刺激を頭が欲しがっている。
吉本隆明の『心的現象論序説』はそういうことにぴったりの本といえる。これを読んでなにか身につくことがあるんだろうかと思うが、晩飯のあと、テレビを見ていたりすると、この難しい本を読みたくなったりすることがあるのだ。身体がそういう欲求をしている。
そして何十年か前にぼくはこの本を読んでいるのだ。熱心に読んだはずだ。何も残っていないような、基本的なことだけを覚えているふうだが、それでも難しい本を読みたいという頭の生理的な欲求以外にもぼくをこの本に向かわせるものがある。
まえ熱心に読んだときに<残ったまま>になっている思い、知識や考え方に新しく風を通らせたいということがある。いまの自分によって、修正や訂正や変更を、そのときに飲みこんでいる思いこみや信じ込みに新しい風を通らせたいのだ。そういう思いがある。
今度この本を読みだしてからずっとぼくをとらえていることがある。心的な現われはすべて身体に還元できるのかということだ。逆流できるのか。このことの関心は一貫してぼくのなかにある。そして吉本隆明は一貫して心的なあらわれをすべて身体に還元するということはできないのだと言う。
「ただ、いままでの考察に取柄があるとすれば、心的な世界を、人間の生理現象にも、現実環界にも還元しえない不可避な領域としてあつかってきたことである。このかんがえはこれからも固執するに価するとかんがえられる。」
この論考は1965年から1969年にわたって発表された文章だけれども、そういう見方をとる。
« 木の表情 | トップページ | 公園を歩くカラス »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.29)
- アガサ・クリスティー「死が最後にやってくる」(訳 加島祥造)(2023.05.13)
- 「歩く」(2023.05.12)
- ヘーゲル「哲学史講義Ⅰ」から(2023.05.11)
- 奥野健男「日本文学史 近代から現代へ」読み終わる(2023.05.01)
« 木の表情 | トップページ | 公園を歩くカラス »
コメント