「キャロル・キング自伝ーーナチュラル・ウーマン」を読む
キャロル・キングは音楽雑誌で読んだエピソードが印象にのこっていて、そのエピソードから彼女の人柄と考え方を想像していて、魅力的な人だとおもっていた。ぼくの好きな「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」の作曲者でもあるし、歌ってもいる。そしてとてもいいアルバムだった『つづれおり』はぼくもまた聴いていて、覚えている。そんなわけでちょっと期待して読みだしたのだが、ここでの彼女は、つまりキャロル・キングが書く彼女自身のこと、つまりキャロル・キングが語る彼女自身は優等生的で、よい子だ。硬いのだ。意外に硬い。ある振り幅からでてこない。
そこが不満だった。いったいあのキャロル・キングはどうしたんだとおもいながら読んでいたが、第二部からはすこしちがってくる。やわらか味がでてきて、思慮深さもでてくる。
どっちにしたって彼女が語る彼女自身というのがいちばん確かではあるのだろう。58歳から70歳までの時間をかけて書いたキャロル・キングの自伝である。
やがてアメリカの都市文明からはなれていき、ロッキー山脈にある州で本格的に山暮らしというのか、自給自足的な生活を子どもたちと始めるキャロル・キングに出会うことになる。
ニューヨークで生まれ育ったキャロル・キングはなぜか、電気、水道がなく、ネズミがはいまわるような徹底した田舎暮らしに強く惹かれるのだ。読んでいて理屈でうごいているわけではなく、体感的に、本能的にそういった生活に、環境にひかれてうごいている。(もうこれからずっと田舎暮らしだなと思って読んでいると、意外にもこの山の暮らしから気持ちのうえではなれていってしまうし、じっさいの生活も、山暮らしから都会での音楽活動へと中心を移していく。このへんの心の動きは説明が足りないぜ)。
とても読みやすい本ではあって、リラックスはできた。
たいした女性だとも思う。彼女の移り住んだアイダホ州の山の近所の住人たちとやがて土地の通行権の問題で争うことになり、裁判になる。郡当局とご近所を相手にして戦いもするのだ。
キャロル・キングは音楽から距離をとった時期があるとしても、音楽を捨てることのなかった人でもあって、彼女の記す50年代の社会のなかの音楽の動き。60年代、70年代、80年代、90年代のアメリカの音楽の世界の、その音楽の世界に住む住人たちのエピソードなんかはとても興味深いのだ。
祖父母の話から始まる彼女のぶ厚い自叙伝はいま現在にまで延びていて、じつに2001年のアメリカ同時多発テロのこと、2011年の日本の東日本大震災のことも語られている。
じっさい面白い、読むのをやめられなくなる章もあったが、選挙にでも出るつもりなんだろうかといいたいほど、とつぜん視線を変えて、<立派な>ことばかり書いている章もある。自伝というものを文学的な統一感でくくらなくてもいいと彼女はかんがえている。そうは考えていたけど、どうしてもいいたいことがある、ということなんだろう。
この長い、半世紀以上の時間をたどってきた自叙伝はキャロル・キングが音楽という場をあらためて発見する章で終わらせている。訳は松田ようこ。
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